「私が最初に東條英機という存在を強く意識したのは、小学4年生の時。
『東京裁判』というドキュメンタリー映画が公開され、母と一緒に観たことがきっかけでした。あまりポジティブな印象は受けず、その後の学校の授業でも、日本史を選択するのは避けていたほどです。
しかし、大人になってから、生前の東條英機を知る人たちの証言など教科書には書かれていない史実に触れることが多くなり、世間一般でいわれているイメージとはだいぶ違う面があることを知りました。
その経験から、これまで語られてこなかった東條英機の実像を知ることは、“どうして戦争が起きたのか” “東京裁判とはいったい何だったのか” という日本にとって重要な問いを考えるうえで、重要な手がかりになると確信しています。
だから、私は批判も覚悟のうえで、彼の実像を伝える活動を始めました。
例えば……
彼の遺品や近しい人たちの証言を紐解いてみたところ、
・息子の同級生のうち、親を亡くして困窮する子供たちの学費をこっそり支援していた
・自分とは縁もゆかりもない一兵士の遺族の子供を心配し、50円札(*現在の価値で約10万円ほど)をポンと手渡す
・それでいて、自分は15坪ほどの家に居住。“一国の首相の家にしては貧相” と、東條家に近所のお寺が広大な土地を寄贈するも、その土地をそのまま近所の女学校に寄付してしまう
と、一般にいわれている東條英機像とはだいぶ異なった一面が浮かび上がってきます。
ただ、誤解してほしくないのですが、私は “だから東條は優れていた” ということを言いたいのではありません。
もっとも伝えたいことは、東條英機だけが特別すばらしい人間だったわけではないということです。
当時、すごく優秀でも、家が貧しくて大学に行けないという子がいれば、村の人たちがカンパし合って助け合ったというような話が、日本の至る所でありました。
つまり、東條英機の行いは “戦前の日本人のスタンダード” であり、私たちの先祖なら皆が当たり前に持っていた感覚だったのです」