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リリース限定価格で手に入るのは2/4(日)まで

世界で賞賛された

“A級戦犯” 

「ひ孫が語る真実」

GHQに消された戦前日本人の生き方とは

私の名前は東條英利。

第40代内閣総理大臣・東條英機の直系のひ孫です。

私自身の個人的な話をさせてください。


2015年のある日のこと、私は人生最大の危機を迎えていました。

「生きた心地がしない……

いったい、はどうなってしまうんだ……」

そこは、オーストラリアのあるテレビ番組の収録会場。


“20世紀最凶の独裁者” と呼ばれたソ連の指導者・スターリンのひ孫、原爆投下を決めた元米国大統領・トルーマンの孫といった第二次世界大戦における重要人物の子孫が集い、戦後70年を振り返る特別番組の収録が行われていました。


私はその番組に、日本代表として呼ばれていたのです。


会場を埋め尽くす、外国人の聴衆。なかには、日本軍の捕虜収容所に収監された過去をもつオーストラリア兵のご子息もいました。


司会者の進行で、収録はテンポよく進み……

ちょうどスターリンのひ孫にマイクが渡った、その時、事件は起きました。


「スターリンは独裁者じゃない」


彼がその一言を発した瞬間、会場はシンと、水を打ったように静まり返り……すぐさま「チッ」という怒りを込めた舌打ち、「オーマイゴット」という言葉とともに失望のため息が漏れ、会場全体をどんよりとした、重たい空気が支配しました。その空気に抗い、顔を真っ赤にしながら反論するスターリンのひ孫。


「ソ連はそもそも戦勝国だろう。なぜそこまで言われなきゃならないんだ!」


この発言に、会場はついに大ブーイングで溢れかえってしまいました。聴衆の中には、興奮のあまり突如として倒れて運ばれる人が出るほど、私の目の前で番組は大炎上していたのです。

そこで無情にも、司会者は口を開きます……


「ミスター東條、どうぞ中央の席へ」


最悪のタイミングで、日本代表の私にマイクが回ってきたのです。

覚悟を決め、語った東條英機の実像……

先ほどの大炎上の余韻をひきずり、ただでさえ、生きた心地がしないほどの重たい空気が流れる会場。


加えて、収録現場のオーストラリアは、日本がかつて戦火を交えた敵国のひとつ。

地方に足を伸ばせば、今なお抗日戦争勝利の記念式典が行われる場所もあり、日本に対して複雑な感情を持つ人も少なくありません。

さらに、私は東條英機のひ孫。東條英機といえば、日米大戦の開戦時に首相を務めたことから、戦後の東京裁判では “A級戦犯” として訴追され死刑判決を下されるなど、ヒトラーと同格の極悪人として扱われています。過去とはいえ、敵国を率いた首相のひ孫として紹介された時、会場は完全なる “アウェイ” でした。


「いったい、この男は何を話すのだろうか」

疑念と好奇心が入り混じった聴衆の視線が、私の身に重くのしかかってきます。


「侵略者の子孫が何を言うのか」

そんなふうに、罵倒や非難を受けることも覚悟のうえで、私は、事実に基づく曽祖父「東條英機」の実像について語りました。(ここでは、TV番組で話したことの一部をご紹介します)





「かつてオーストラリアと日本は戦火を交えました。


一説によると、“捕虜のオーストラリア兵の首を日本兵がはねた” というような話もあります。それを元に、日本軍というのは残虐だったと語られることがありますが、それは日本人のすべてではありません。


例えばうちの曽祖父が二つ、いいことをやっていまして……」







そう言って、私はそのうちのひとつ「東條英機が2万人近く*のユダヤ人を救った」ということを語りました。(*数字については諸説あり)


それは「オトポール事件」と呼ばれる出来事でした。

(テレビ番組に出演した東條英利さん)

オトポール事件とは……

1938年3月、ヒトラー率いるナチスドイツにより、多数のユダヤ人が激しい差別と迫害に遭っていた。


多くのユダヤ難民がヨーロッパを脱出し、満洲の西方オトポールに来着するも、ビザが下りず駅周辺で野宿をしていた。


激しい吹雪の日で、気温は氷点下30度。食糧はすでに尽き、飢餓と寒さのために凍死者が続出。


多数のユダヤ人の命が危険にさらされるなか、満洲国ハルビン特務機関長・樋口季一郎が、このユダヤ難民たちを助けたのだった。



(出典 岡部 伸. 至誠の日本インテリジェンス - 世界が称賛した帝国陸軍の奇跡 - (Japanese Edition) (p.189). Kindle 版. )

しかし後日、そのことが日本とドイツ間の大きな外交問題となり、ドイツからは抗議文書が届いた。


当時、ドイツはヨーロッパのほぼ全土を支配下に置くほどの強国で、第二次世界大戦を戦う日本の同盟国。同盟関係が崩れかねない非常事態だった。


「いったい何をやっているのだ」と言わんばかりに外務省、陸軍省、関東軍内では樋口中将に対する批判の声が挙がり、彼に関東軍から出頭命令が出た。


説明を求められた樋口は、当時、関東軍参謀長だった東條英機にこう答えた。


「ドイツは同盟国ですが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です」


東條はこの回答に大いに賛同。軍部、政府内で樋口の処分を求める声が強まるなか、彼を守り抜き、懲罰を課すことは一切なかった。


さらに、ナチスドイツ政府に対して「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と、その抗議を一蹴した。


東條は、たとえ同盟国であってもナチスドイツの間違った人種差別に対し、毅然とした態度を貫いたのだった。

「あなたのひいおじいさんは大変すばらしいことをしたのよ」

時計の針が深夜を回ったころ…… 白熱した番組の収録がようやく終わりました。


番組が終わると、観覧席にいたユダヤ系のポーランド人夫妻(アウシュヴィッツ収容所の生き残りの方々)が私のところにやってきたのです。


「いったい、何を言われるのだろう」


非難されるかもしれないと、身構えた私に待っていたのは驚きの結末でした。


彼らは、涙ながらに「あなたのひいおじいさんは大変すばらしいことをしたのよ」と語ってくれたのです。


のちに、私が出演した番組はTV局の公式 Facebook ページに記事としてポストされ、オーストラリアで反響を呼びました。さらに嬉しいことに、視聴者から投稿されたコメントのほとんどが「東條家に幸あれ」「あなたが出演してくれた勇気に感謝する」というポジティブなもので埋め尽くされていたのです。

(実際のユダヤ系のポーランド人夫妻と東條英利さんの写真)

戦前の日本人が当たり前に持っていた、世界に誇る日本精神とは?

「日本は侵略戦争をした悪い国だった」だから「世界に対して謝罪をしなければならない」ということが、戦後、一貫して教え続けられています。


そして、日本を侵略国家に導いた「悪い日本人」の象徴が、東京裁判で裁かれた東條をはじめとする、いわゆる “A級戦犯” でした。それにもかかわらず、海外の番組で「東條英機」について語ると、世界の人々から多数の賞賛の声があがったのです。しかし、そういった話が日本のメディアで語られることはありません。


このように、日本と世界で異なる評価のあった「東條英機」という人物。

はたして、その実像とはどのようなものなのでしょうか?

第7代目・東條家当主の東條英利さんはこのように言います。


「私が最初に東條英機という存在を強く意識したのは、小学4年生の時。


『東京裁判』というドキュメンタリー映画が公開され、母と一緒に観たことがきっかけでした。あまりポジティブな印象は受けず、その後の学校の授業でも、日本史を選択するのは避けていたほどです。


しかし、大人になってから、生前の東條英機を知る人たちの証言など教科書には書かれていない史実に触れることが多くなり、世間一般でいわれているイメージとはだいぶ違う面があることを知りました。


その経験から、これまで語られてこなかった東條英機の実像を知ることは、“どうして戦争が起きたのか” “東京裁判とはいったい何だったのか” という日本にとって重要な問いを考えるうえで、重要な手がかりになると確信しています。


だから、私は批判も覚悟のうえで、彼の実像を伝える活動を始めました。


例えば……

彼の遺品や近しい人たちの証言を紐解いてみたところ、


・息子の同級生のうち、親を亡くして困窮する子供たちの学費をこっそり支援していた

・自分とは縁もゆかりもない一兵士の遺族の子供を心配し、50円札(*現在の価値で約10万円ほど)をポンと手渡す

・それでいて、自分は15坪ほどの家に居住。“一国の首相の家にしては貧相” と、東條家に近所のお寺が広大な土地を寄贈するも、その土地をそのまま近所の女学校に寄付してしまう


と、一般にいわれている東條英機像とはだいぶ異なった一面が浮かび上がってきます。

ただ、誤解してほしくないのですが、私は “だから東條は優れていた” ということを言いたいのではありません。


もっとも伝えたいことは、東條英機だけが特別すばらしい人間だったわけではないということです。


当時、すごく優秀でも、家が貧しくて大学に行けないという子がいれば、村の人たちがカンパし合って助け合ったというような話が、日本の至る所でありました。


つまり、東條英機の行いは “戦前の日本人のスタンダード” であり、私たちの先祖なら皆が当たり前に持っていた感覚だったのです」

じつは、東京裁判とその後の占領政策における東條英機の「悪」としての象徴化は、GHQ(米国)の工作によるところが大きかったと、近年の研究で明らかになってきています。


特に重要な役割を果たしたのが、GHQの指導で行われた計51回のラジオ番組「真相箱」です。この放送で「悪いのは軍閥であり、なかでも東條英機という大悪党が国民を騙した、戦争へと引きづりこんだ」という趣旨の宣伝を巧みに行い、「東條の悪口を言わないものは日本人ではない」といわれるほどの世論をつくりあげました。


その結果、戦後の教育でも、メディアでも、東條英機をはじめとした、“A級戦犯” は大悪人だというレッテルを貼り、そのすべてを否定……彼らが本当は何をしたのか? どんな想いであの戦争を戦ったのか? という真相はわからないままです。


こうして、戦前まで日本人が当たり前に持っていた心を自ら踏みにじり、今だけ、自分さえ良ければそれでいい、自分が儲かればそれでいい、といった欧米的な精神が蔓延。世界からも賞賛された、美しい精神性は失われつつあります。これは、とても残念なことではないでしょうか……


東條英利さんは、こんなふうにも語ってくれました。



「私はかつて、“東條” という名を背負うことから逃げてきました。しかし、学校では教わらない東條英機の実像に触れ、本気で向き合うことで、戦前の日本人に受け継がれてきた美しい精神性の存在を知りました。


そして、このような先人たちの遺徳こそが、未来の日本の可能性そのものだということに気づけたのです。


今では、私は曽祖父(東條英機)の遺志を自分なりに受け継ぎ、東條家の一員としての誇りを持って、彼の実像を伝えています。この日本というすばらしい国に生まれたことに感謝し、ひとりの日本人としての誇りを持って、伝統文化を後世に語り継ぐ活動を続けていきます」

東條家を継ぐものが明かす、東條英機の実像とは?

東京裁判、東條英機をはじめとした  “A級戦犯” の悪魔化によって、日本人が失ってしまった大切なものとは?

ひとりの日本人として、今を生きる私たちができることは何か

本編映像では、

・本邦初公開の東條英機の遺品

・生前の東條英機を知るさまざまな人物の証言

・親族の背負ってきた知られざる苦悩

などを通して、ひ孫の東條英利さんとともにその真実に迫ります。


講座の内容は……

パート1『東條家に生まれて』(約2.5時間)

「一家暗殺の脅迫、集団リンチ、家なし、金なし」

戦後の東條家が経験した壮絶な生活

「今度は金持ちの家に生まれような……」

英機の孫がこぼした東條家の苦悩とは

「使われなかった青酸カリ」

東條英機の息子が一家全員分の毒薬を用意した覚悟

「トルーマンの孫 × 東條英機のひ孫」

オーストラリア公共放送局で実現した “奇跡の対談内容”

「あなたのひいおじいさんは大変すばらしいことをしたのよ」

アウシュヴィッツ生還者の末裔が涙ながらに語ったこと

「東條英機の孫娘の著書『一切語るなかれ』」

この本が戦後の東條家を揺るがした理由

東條家最大のターニング・ポイントが

「小泉首相の靖国参拝」であった理由とは

「東條英機の知られざる幼少時代」

下から2番目の劣等生から首相まで上り詰めた出世劇

「東條英機 = 戦前の日本人のスタンダード?」

歴史学者も賛同したその理由とは

「東條英機、死刑1分前の様子」

アメリカ兵に伝えた驚きの一言とは?

パート2『遺品が語る首相・東條英機の素顔』(約1時間)

「なんであんなすばらしい人が……」

巣鴨プリズン看守が語った東條英機の実像

「陛下、お言葉ですが」

東條英機がたった一度だけ昭和天皇に反論した “タバコ事件”

「これだけは絶対に死守しろ……」

東條英機が家族に託した宝とは

「英機が絞首台で履いたサンダル」

2022年にアメリカから、長い時を超えて返還された意外な理由

「子どもは国の宝」

東條内閣が世界に先駆けて成立させた “子ども想い” な法律とは

小学4年生の英機の孫が語った決意

「おじいちゃまがなんと言われていても黙っています」

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講師紹介

一般社団法人国際教養振興協会 代表理事神社文化評論家東條家7代目当主

東條 英利

Tojo Hidetoshi

第40代内閣総理大臣の東條英機は直系の曾祖父にあたる(長男のみ「英」の字を継承)。


小学校時代の担任から「東條英機のひ孫は〜」と授業中に揶揄されながら指をさされた経験から、日本史の授業を避けるようになる。


自分は生まれてよかったのだろうか?と思い悩む日々が続き、高校・大学時代は自由主義に傾倒。

大学卒業後、東証一部上場の大手カタログ通販会社に9年間勤務。うち4年間を香港駐在員として過ごすなかで、ある転機が訪れる。外国人との会話で、日本の文化や歴史に話が及んだ際、一切答えることができず、ただただ恥をかくばかりだった。


そこから、東條英機とは何者か? その名前に向き合うことにより、さまざまな出会いに恵まれ、学校では教わらなかった実像を知ることになる。そのなかで、東條英機が行った良いことは、戦前の日本人が当たり前に持っていた精神性であり、遺徳だったということに気づき、自分が日本に生まれたこと、東條家に生まれたことへの自覚と誇りが芽生え始めた。

日本には先人が遺してくれた誇るべき歴史や文化が数多くあるが、それらを理解する機会が不足していることで伝統文化が廃れていく現状に危機感を持ち、帰国後は日本人の伝統・ 文化に対する理解向上の機会作りに奔走。


2008年には、全国の神社を気軽に検索できる神社データベース・サイト「神社人」を起案。以来、4,000社以上の神社を巡り、情報を収集。


2009年より集積及び解析した神社情報を元に定期的な勉強会を開始。2012年ごろからはそのテーマを「神社・神道」のみならず、「日本の伝統文化」や「習慣・年中行事」などにも広げ、「教養」を主軸とした研究会を全国各地で展開している。


2013年には、一般社団法人国際教養振興協会の代表理事に就任。日本人の「教養力」の向上と「国際教養人」の創出をビジョンに掲げ、「教養」に関する教育事業、メディアの構築にも注力。なかでも、「日本のお正月」を学ぶ機会作りとして、国産稲わらを使用したしめ縄づくりのワークショップを行う「しめ縄づくりプロジェクト」を全国各地で開催。2017年には、初の海外開催(米国ロサンゼルス)を実現させ、2018年時点で、その開催規模は全国31会場・約1,500名の動員に及んでいる。


形骸化されつつある伝統文化の象徴・お正月の理解をきっかけに、身近な文化や習慣に関心を持ち、日本の持つ伝統や固有の文化に対する理解向上に繋げていくことを目的として、全国各地の小学校や神社、また海外でも精力的に活動を行っている。


現在まで、外部の講演も含めて登壇の数は600回以上。戦後70年を節目にさまざまなメディア媒体にも取り上げられ、オーストラリアの公共放送SBSのトークショー「Insight」やAP通信といった海外メディアの前でもその自身の生い立ちや考えを語る機会も増えている。著書に『日本人の証明』(学研パブリッシング)、『神社ツーリズム』(扶桑社)があり、『神社の基本』(エイ出版)、『日本の神社ベストランキング』(晋遊舎)ほか、神社関連の書籍の監修を多数務める。



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東條先生の活動に寄せられたお客様の声

00PANDA さま「東條英機さんの子孫は、品がある!」

人事部長 さま「真の日本人とは」

われわれには想像もつかないような壮絶な人生を送られてきたと思いますが、東條英利氏の穏やかな語り口の中にわれわれが忘れかけている日本人を見たような気がします。その潔さ、その覚悟といったものが、言葉の端々に現れていて、最後に敵国軍人にさえ感謝を述べて絞首台に上られた先人たちの姿とオーバーラップして、心が洗われるような講座であると感じました。一人でも多くの日本人に見てもらいたいと思う内容でした。是非とも現在進めているプロジェクトを成功させてほしい、何か自分にできることがあれば協力したいと思います。頑張ってください。

東條英利さんは、顔も声も、

とても品が有り、話の内容もしっかりしていて、分かりやすかった。DNAは両親がそれぞれ違う遺伝子が基本なのだから、英利さんは1/2×1/2×1/2=1/8の東條英機さんの遺伝子を引き継いでいるはずです。気にする時も、気にしない時も、プライドを持ってお過ごしくださいと。ところで、一般の雑種としての私は、誠に勝手ながら私自身を『曖昧で、いい加減な日本人』だと思っています。今、英利さんの努力で、世界中に明るい未来が来る事を願っています。

亀婆さん さま「先人の遺徳に感謝しております」

この度は、よくぞ、このプロジェクトをしていただき誠にありがとうございました。常々、東条英機氏のご遺徳を存じておりましたので、ひい孫の東条英利氏のお話は感無量でした。私の父親は、大東亜戦争から帰り、私が誕生しておりますし、母親も小学校の教師をしておりましたので、先人の遺徳にはいつも感謝しておりました。子どもこそ国の宝も身に染みております。しめ縄プロジェクトはすばらしいことですね。そして、日米の和解で2025年に「HOPE・80 平和宣言」は、もっともすばらしいことです。


先人の遺徳に感謝して、日本人の誇りを取り戻す時が来たように感じます。私は、このすばらしい発言に、私のご先祖にも、報告できるかと思うと嬉しい限りです。大いなる勇気をいただき誠に感謝に堪えません。ありがとうございました。

小松 さま「これほどの資料が残っているのは素晴らしいことだと思います」

天使 さま「思いました通りの東條英機さん、日本人としまして誇りに思います」

戦後生まれですが、昔からテレビで東京裁判の様子拝見しましての感想は、いつも立派な態度だな、でした。両親から彼らの悪口を聞いたこともありません。この歳になりましても考えは全く変わらないどころか、教科書では嘘ばかり教えられ、24時間介護を長年続けていましたので、色々と勉強してまいりました。海軍でスマトラにいました父も10年以上前に亡くなりましたが、愚痴を聞いたこともありません。ただ、外地で亡くなりました日本の兵隊さんのお骨、日本に連れて帰れない事が未だに気にかかっております。東條さん、ダイレクト出版さんありがとう。

東條英機さんの遺骨もGHQに取られたなかで、こういった資料が残っていることは大変すばらしいことだと思います。また、敗戦以降の日本の指導者(特に教育者)が戦争の責任を東條さんに押し付け、東條家の子孫を公的な場で差別するというのは、戦後教育が如何にGHQによってうまくコントロールされてきたかを物語っていると思います。

藤子 さま「本当の事が知りたい」

私たちは戦後『東條英機=悪』のように教えられてきたと思います。子供の時、父が何とも憎らしそうにその名を口にしていたのを覚えています。今も父はバリバリの戦後GHQの洗脳の中に居るんだと思います。

私は、いつのころからか「本当に日本は悪いのか? 愚かな国民なのか?」と考えるようになり、そして何より、人が「日本は負けたんだから」とか「日本は敗戦国なんだから」というのを聞くのが大っ嫌いで、それじゃあいつになったら立ち直るんだ? いつになったら平等になるんだ? と、悔しいやら情けないやら悲しい気持ちで過ごすうち、最近は今回視聴できた『遺品が語る首相・東條英機の素顔』のような動画や復刻版の焚書書籍も見れるようになって来て有難いです。

でも、もっと早く知りたかったし、もっと早くこの類の事が表に出てきて欲しかったです。何故なら今も若者が「自分に自信が持てない。こんな国嫌だ」と言っているからです。

本当の東條さんのことや、本当の日本の姿をもっと知りたい、皆に知ってもらいたいです。


今回は貴重な画像、動画をありがとうございました。

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