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80

田中英道

集大成

年間

80

田中英道

集大成

年間

美術・歴史研究で培った人生の哲学

*このページには、田中教授が80年間の人生を通して得た“人生の原則”を知る方法が書かれています。

田中英道

F r o m

どうもこんにちは。田中英道です。

これまで私の研究を支えてきてくださったお礼を込めて、今日は特別なお話をさせてください。


私は、今までダヴィンチやミケランジェロや日本の起源史など、主に美術や歴史の様々な研究成果を論文に書き、発表してきました。

このような研究成果を世の中に発信していると、よく聞かれるのが、


・なぜ先生は、他の人が唱えられないような新説を次々と思いつくのか?

・80歳を過ぎても研究の最前線に立つ先生のバックグラウンドは何か?


というご質問です。


今まで私から語る機会もありませんでしたし、今後も恐らくないと思うので、今回はその原点となった幼少期の体験を少しお話してみようと思います。

c h i l d h o o d

幼少期の田中英道と原爆体験

私は、昭和17年(1942年)、まさに戦時中に東京で生まれました。


その頃はちょうど日本軍がアメリカに勝っていた時期だったので、「連戦連勝だ!」と周りの人たちの喜ぶ声をよく聞いていました。


しかし、次第に日本軍が負けはじめると、私を含めた一家は疎開を余儀なくされました。


移住先は長崎県の香焼島(こうやきじま)というところです。この時まだ私は3歳でした。自然が豊かな場所で、敵軍から隠れるのに非常に適していた土地でした。


そこで私は家族としばらくの間、ひっそりと生活をしていたわけですが、、、

1945年8月9日。突如私を取り巻く環境が激変しました。


長崎に原爆が投下されたのです。私は、ちょうど家の玄関にいたのですが突如、原爆によるピカッとした物凄い光に包み込まれました。

その時です。危険を察知した祖母が覆いかぶさり、私のことを守ってくれたんです。


原爆が原因だったのか、身体が弱かったのか、祖母は3年後に死んでしまいました。


でも「私のことを大切にしてくれていたんだなあ。愛してくれていたんだなあ」と、今でもよく祖母のことを思い出します。


今があるのも祖母のおかげです。私を守ってくれた時のあの温もりは忘れられません。


こうして私は、生き延びることができたわけですが、外を見てみると、原爆により十数万近くの人が亡くなっていました。


実はこの原爆という体験が、幼い私に強烈な感覚として残ったんですね。


そしてこの壮絶な体験が、その後の人生を決めた指針になったわけです。


戦争というものに直面し、自分の命に関わることを目の前で体験したことで、


「どうしてこのような悲惨な争いが起こるのか?」

「なぜ一瞬でこれほどの人々が殺されてしまったのか?」


私は、幼いながらも考えました。そうしているうちに、


「答えを知りたい。考えたい。探求したい。そして、探究したことをいろんな人たちに伝えたい。」


そういう思いが込み上げて来ました。まさにこれが、「物事を探求しながら生きていく」という私の人生の「原点」となったわけです。

s t u d y  a b r o a d

西洋留学での苦悩とミケランジェロ研究

そして少年時代を経て大学に行くようになると、私の「探究したい」という好奇心は美術研究に向くわけです。


大学時代は頻繁にヒッチハイクをして、日本全国の仏像や絵画を実際にこの眼で見て周り、私は虜になりました。

「なぜこのような美しい仏像を人間が作れるのか?」

「この絵画の細部にわたる表現はどうやって描かれているのだろう?」


「研究したい。その答えを知りたい。」


そんな美術の可能性に惹かれて、大学での勉学に励みました。特にこの大学時代は、ラ・トゥールという画家について興味を持ち、深く研究していました。


ラトゥールという方は、全てを闇の中に描くという不思議な絵画を描く画家で、およそ2年間もの歳月をかけて研究論文を書き上げました。


そして吉川先生という大学時代の恩師にその論文を見せると、大変褒めていただき、


「お前はフランスのストラスブール大学に行け。本場の美術をその目に焼き付けて来い」


こう仰るわけです。私の才能を見出してくれて、海外留学まで勧めていただいた恩師にはとても感謝しています。私の研究人生が開かれたのは、恩師との出会いがあったのです。

こうして私は厳しい審査を経て、フランスのストラスブール大学に留学。


現地で世界の貴重な絵画を間近で見ながら研究を続け、博士論文を書き、ここでも最優秀の成績を収めることができました。


ですが、その過程では非常に困難なことも経験しました。


特にフランスという国は植民地主義的な性格が強く、日本人をとても低く見る傾向がありました。


だから日本人である私が学者としての地位を上げて、フランス人学者たちよりも上の地位に昇ろうとすると、一気に潰しにかかるようなことをしてくるわけです。


「日本人には負けたくない」「日本人が自分たちと同じレベルになるのは困る」


そういう気持ちが彼らの心の根底にはあったのでしょう。だからフランスでは、私の研究本を出版してくれなかったのです。


こういうことは学問に限らず、世界の文明史の中で常に起こっていました。西洋が常に上であり、これに逆らうものは潰すべきだと。


しかし私は、屈しませんでした。日本人には、西洋に負けない力が確かにあると信じていたからです。


私は、あの敗戦から焼け野原になった日本が再度立ち上がり、急速な勢いで世界レベルの経済大国へと成長する日本をずっと見てきましたし、


そして、これは西洋に来てわかったことですが、大学時代に見た仏像や絵画は、世界最高峰のものだったと気づきました。


ですから日本人には西洋に負けない底力があるし、自分にもその力を発揮することができると思っていました。


だからこそ、


・好きな研究分野で、西洋の力に負けて虚しく日本に帰るわけにはいかない。

・自分が最高の研究成果を収めることで、日本人の力を世界に知ってほしい。

・西洋人が上で、日本人が常にそれに劣等感を持つような風潮を打破したい。


そのために今日やれること、明日やれることをやっていこう。


このような思いで日々世界の名画と向き合い、その後イタリアに拠点を移した後も、数々の研究論文を書き上げていきました。

そして数年後......


研究漬けだった私のもとに、一つの提案が舞い込んできたのです。


なんと、キリスト教美術の最高傑作とされるシスティーナ礼拝堂の調査メンバーに抜擢されたのです。


500年に一度、システィーナ礼拝堂の大修復が10年間にわたって行われるということで、そこに同席して、研究をしてほしいとのことでした。

実際に私は足場にのぼらせていただき、間近でミケランジェロの天井画を拝見したのですが、

初めて見上げた時はあまりにも壮大で美しい絵画に、不思議と引っ張られるかのように吸い込まれていきました。


こうして毎年5000万もの費用をいただきながら、ミケランジェロの巨大な天井画を毎日間近で観察する日々が続いていたわけですが......


そんなある日、私はこの天井画から「歴史的な大発見」をしたのです。


ここでは長くなるので詳しくお話できませんが、私はその新事実を発見した瞬間、あまりの感動に全身がゾクゾクと震えるような不思議な感覚に包まれました。


そして興奮冷めやらぬ状態のまま、そのことを論文に一気に書き上げ、世の中に送り出したのです。


すると、この論文は世界の聡明な学者から大絶賛され、非常に高い評価をいただきました。


のちに「田中はミケランジェロ研究の世界的な権威だ」と言ってくださる方もいて、今でも大変嬉しく思っています。

c o m p i l a t i o n

田中英道・80年間の集大成

今では、私のことを「西洋美術史の第一人者」と呼んでくれる方もいらっしゃって、非常に光栄なことだと思っています。ですが、それは別に威張ることではありません。一流の学者というのは研究費をもらえるんです。


そのお金は、あなたが納めた税金、つまり国民のお金です。 


だからこそ、私は一人の学者として目の前の研究に全力を尽くし、新しい事を発見し、学問の前進に最大限貢献する。


それによって、国家や国民に還元することができる。学者というものはそうでなくてはいけない。


これが私の研究に対する一貫した信念です。このような思いで私はこの80年間、走り抜けてきました。


そのなかで、もちろん困難なことも、辛いこともありました。その一方で、私でしか経験できないような貴重な体験もありました。


でもその経験があったからこそ、今皆さんにこうして、新しい事をお伝えすることができていますし、

私の人生全てが私の宝です。


今回は、先程お話した私の幼少期も含め、学生時代、留学時代、そして現在まで。私が80年の人生で見てきたもの、その全てをお伝えしようと思います。


・以前よりお客様から「先生の頭の中の世界観を知りたい」「どういう視点で目の前の絵画や彫刻を解釈しているのか知りたい」「先生の思考方法が知りたい」というお声をいただいておりましたので、西洋と日本研究で培った私の世界観、思考や視点についても詳しくお話させていただきます。


・そして、私の思考法や世界観を知っていただくことで、日常生活での考え方やものの見方というものが変わり、より人生を広い視野の中で生きてもらえるようになってくれたら大変嬉しく思います。


・また「老年こそ創造の時代」と私はよく言いますが、70歳を越えてから、さらに人生というものが飛躍したなと感じております。その経験から「老後の人生を楽しむ秘訣」についてもお伝えしますので、ぜひ今後の人生をより楽しく充実するための羅針盤にしていただけると幸いです。


ダイレクト出版のスタッフの皆さんに協力してもらい、始動したこの新たなプロジェクト…


完成したプログラムをどうぞお楽しみください。

美術と歴史

田中英道という生き方

新講座「美術と歴史」田中英道という生き方は、田中教授の80年間の人生を深堀り、これまでの幼少期、西洋留学での知見、日本での研究など…田中教授の貴重な経験の全てを追体験できる講座です。


話し続けてもらうこと数日間…先生の波乱万丈な人生を幼少期から現在に至るまで、語り尽くせるだけ語っていただきました。


田中教授がこれまでの長い人生経験の中で培った思考や視点、研究の成果、世界で活躍できる日本人を教育する方法、これからの人生をより充実したものにする秘訣など、日々の生活の中で役立つような情報も満載の講座となっております。


その詳しい内容をご紹介すると…

01

第1章

田中英道の幼少期〜東大時代

原爆体験と安保闘争

この章では、田中教授の誕生から戦争体験、学生時代までの人生を解き明かしていきます。


田中教授は、東大を出た後、ヨーロッパに留学し、その後、東北大学名誉教授になるなど、華々しい経歴をお持ちです。ですが、実はこのような研究人生を歩むようになった背景には「クリエイティブな世界を生きたご両親」と「幼い頃に体験した壮絶な戦争」の影響を強く受けていたという体験があったと仰っています。


このお話を聴くことで、何が先生を突き動かしてきたのか?なぜ先生は他の言論人とは 違う歴史の見方ができるようになったのか?その裏側がわかるようになるでしょう

「日米戦と田中英道の幼少期」

原爆体験が巨匠の研究人生を方向づけたワケ

「田中英道の東大時代」

若き田中が芸術家になることを諦めた理由

「田中英道と安保闘争」

デモ活動の参加で感じた“左翼への猜疑心”

「音楽漬けの小学校時代」

6年間クラシックを聴く生活...

実験教育がもたらした芸術への目覚め

02

第2章

フランス留学時代

人生を変えた二人の恩師との出会い

この章では、東大を出た田中教授がフランス留学へと旅立つ時の様子や、留学先での知見、経験、思い出などを余すことなくお話いただきました。


田中教授は東大時代に自身の成績が認められ、なんと政府給費生に選出。フランスの名門・ストラスブール大学へ留学し、そこでも日本人でありながら最優秀の成績で卒業・博士号を取得するなど輝かしい功績を残されました。


なぜ田中教授はこのような輝かしい成績を残すことができたのか?実は、そこには、田中教授の才能を見出し、そしてその才能を開花させた二人の恩師が大きく関係していたと言います。


このお話を聴くことで、田中教授のフランス留学での貴重な経験はもちろん、若き頃の田中教授の秘話も知ることができるでしょう。

「西洋美術との出会い」

田中英道の才能を見抜いた恩師...

開かれたフランス留学への道

「フランス留学で感じた日本教育の問題点」

日本の知識人が西洋に劣等感を持ってしまったワケ

「フランス留学時の苦い思い出」

植民地主義が原因?

研究者・田中英道が受けた妨害

「最優秀・ストラスブール大学での研究」

田中英道の才能を開花させたユダヤ人師匠

03

第3章

イタリア留学時代

世界が認めたミケランジェロ研究

この章では、田中教授のイタリア留学時代についてお話いただきました。フランス留学を終えた田中教授は、ふと重大な事に気がついたと言います。


「世界で大画家といえば、ミケランジェロやレオナルドなど、ほとんどがイタリア人である。イタリアに行かなければと本当の美術を勉強したことにならないのではないか?」


こうして田中教授は、イタリアへと留学する事を決意。ミケランジェロやレオナルドなど名だたる画家の絵画を研究され、ここでも輝かしい成績を残されました。


このお話を聴くことで、芸術の本場・イタリアで田中教授が見たもの、発見したことなど貴重な経験に触れることができるでしょう。

「フィレンツェで芸術を学びなさい...」

田中英道の恩師がイタリア留学を強く勧めた理由

「宗教=神が来るのを待つこと」

ミケランジェロの名画で気づいた“キリスト教の正体”

「芸術大国・イタリア」

ミケランジェロ、デューラー、ダ・ヴィンチ...

なぜ名画家はイタリアから誕生するのか?

「新説・システィーナ礼拝堂」

天井画に込められた哲学...

世界が唸った田中のミケランジェロ研究

04

第4章

日本美術研究開始:西洋から日本へ

日本美術の真髄

この章では田中教授が日本に戻り、日本の美術や歴史の研究を始めたキッカケについて詳しくお話いただきました。


田中教授はこのように言います。「ミケランジェロとレオナルドを研究すると世界最高峰のものを学んだということになります。あの頃は大変貴重な作品に触れさせていただくことができて非常に光栄でした。」


そんな世界美術の本場・イタリアで最先端の研究をされていた田中教授ですが、なぜ突如日本に戻り、日本の美術や歴史を研究するようになったのでしょうか?


今回は特別に、日本美術や歴史の研究へと移行した経緯・裏側を公開していただくことになりました。

このお話を聴くことで、人生の大きな分岐点に立つことになった田中教授の秘話を知ることができます。

「西洋美術から日本美術研究へ」

支倉常長像の研究で判明した

“東北とユダヤの繋がり”

「10ヶ月で姿を消した謎の浮世絵師・写楽」

田中英道が辿り着いた新説...

楽の正体は北斎だった?

「田中英道の美術・歴史研究への思い」

日々の講義や講演で一番大切にしていること

「東北大学での日本美術研究」

“生きた線”を書く画家?

田中英道が発見した世界レベルの芸術家たち

05

第5章

教科書運動と日本国史学会

西尾幹二先生との出会い

この章では、日本での活動を本格化させた田中教授と西尾先生との出会いについてお話いただきました。


西洋での研究を終え、東北大学に拠点を移した田中教授は、いよいよ日本美術と歴史の研究を本格化させ、

その世界的価値を世の中に発信していました。


そんな時、一人の学者が田中教授の家を訪れたと言います。西尾幹二先生です。西尾先生は田中教授に会うと「私と共に教科書運動をやってくれないだろうか?」と仰ったそうです。この出会いが田中教授の人生を大きく変えることになりました...


このお話を聴くことで、新しい教科書を作る運動の開始から、その後の日本国史学会の設立までの、田中教授の活動の裏舞台を覗くことができます。

「歴史運動と左翼との戦い」

戦後日本の闇...

共産化した出版社とメディア

「日本国史学会の始動」

古事記の成立年に因んで設立?

聡明な学者が集う学術団体の原点

「日本国史学会と憲法構想」

弁護士と学者が共同で作る新・日本国憲法とは

「西尾幹二先生との出会い」

“新しい歴史教科書”を作る運動の開始

06

第6章

総括・田中英道の哲学

人生の道を切り開く秘訣

最終章では、田中教授の人生哲学についてご講義いただきました。


田中教授は、幼い頃に戦争と原爆を体験。終戦後東京に戻ると、故郷の土地は農地改革によって失い、さらには、父が公職追放にあったそうです。


その後も、フランス留学時には現地の人による研究の妨害に遭い、日本に活動拠点を移した後には、テレビや出版社に言論や執筆活動を制限されてしまうなど...様々な苦難を経験されてきました。


そのような中でも、めげる事なく自分の道を信じて、目の前の試練を通り抜けてこられました。


今回は、そんな田中教授だからこそ語ることができる人生の哲学についてお話いただきました。


このお話を聴くことで、人生をよりよいものにする秘訣や目の前の道を切り開くコツなど、田中教授の人生哲学が自分のものになるでしょう。

「昭和時代の生き証人」

戦中と戦後を生き抜いた“知の巨人”の哲学

「田中英道が教える成功の法則」

人生を充実したものにする秘訣とは

「老年こそ創造の時代」

エリートが学問前進のために果たすべき責務とは

「田中英道がもつ仕事への誇り」

日々の研究で一番達成感を感じる瞬間とは

文 化 遺 産 を 読 み 解 け ば 、真 実 の 歴 史 が 見 え る

著者紹介

東北大学 名誉教授

日本国史学会 代表理事長

ボローニャ大学・ローマ大学客員教授

田中 英道

Hidemichi Tanaka

田中教授は、ボローニャ大学・ローマ大学客員教授、国際美術史学会副会長、東北大学名誉教授としての経歴をお持ちで、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれています。

24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど... 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けています。

中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における“世界的権威”です。


さらに田中教授は、西洋美術研究の折、ある独特の学問手法を体得しました。それが、形象学(フォルモロジー)です。


作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までをも読み取るもので、その観点から日本美術を見た時に日本の素晴らしさに気付いたと言います。


そんなフォルモロジーを駆使して描き出される高度な研究内容は、一流の学者が脱帽するほど...

そのような高い評価を受け、今も独自の手法で研究を続けられている唯一の日本人が田中英道教授なのです。

新 講 座

3つの違い

02

01

03

人生の生き方の

ヒントが得られる

田中教授の80年間の人生を凝縮

音声で何度も聴ける

田中教授は戦時中の1942年に誕生し、学生時代は東京大学に進学。その後、ストラスブール大学で博士号を取得し、東北大学名誉教授やボローニャ大学客員教授なども歴任。「フランス、イタリア美術史研究の第一人者」として活躍する一方、日本の美術や歴史の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開されてきました。
そんな田中教授は今年で80歳… 長年の美術や歴史研究で培った豊富な人生経験に裏付けられた言葉は、まさに知の結晶です。西洋留学で培った審美眼と長年にわたる研究で練り上げられた田中教授の知見、思考、視点があなたのものになることでしょう。

田中教授は、80年間の人生の中で、様々な経験をされていきました。東大卒業後、フランスの大学へ政府給費生に選出され、フランス留学を開始。その後、世界屈指の名作と言われるシスティーナ礼拝堂・天井画の修復作業に参加。また、未完成に終わったレオナルド・ダ・ヴィンチの作品「スフォルツ騎馬像」を実際の彫像として忠実に再現するなど...非常に華々しい経験を積まれてきました。
ですが一方で、戦後の農地改革で故郷の土地を失ったこと、父が公職追放にあったこと、留学先でフランス人によって研究の妨害にあったことなど、様々な挫折も経験されてきました。その中でも困難に打ち勝ち、人生の道を切り開いてきた田中教授のアドバイスは、あなた人生をより充実したものにするためのヒントを与えてくれるでしょう。

田中教授はこれまで日本国史学会の講演、海外での講演、大学での講義、youtubeなど様々な場所で、日本の美術や歴史の世界的な価値を発信し、人々に感動を与えてきました。また田中教授の通説を根本から覆す講義に「日本人としての誇りが蘇った」「日本という国の歴史の深さに感動した」というお声も多数いただいております。
そんな田中教授の人生にまつわる特別な講義を、ポケットに入れて持ち運べるのでどこでも気軽に楽しめるようになります。…散歩や移動、家事など、何気ない日常のひとときまでも…心の底からエネルギーが湧いてくる時間に変わることでしょう。

田 中 英 道 ・ 8 0 年 間 の 集 大 成 に

あなたはいくら投資されますか?

さて、「美術と歴史 田中英道という生き方」の価格はいくらでしょうか?あなた様が感じられているように、これは安いものではありませんし、安くすべきものでもありません…田中教授は、「西洋美術研究の第一人者」と呼ばれるほどの世界的権威の人物です… その人生に値段をつけること自体、非常に恐れ多いことだからです。 


当然、田中教授への敬意もあり、かなり高額な費用も検討しました。


ですが、田中教授の「今の人生をより充実したものにするヒントを伝えたい」という想いを必ず届けたいという願いから、今回は多くの方に手に取ってもらいやすいように、講座の通常価格はなんと198,000円(税込)とさせて頂きました。

リスク・ゼロの安心保証をお約束いたします

このプログラムは田中教授の集大成と言えるだけあって、何度も繰り返し聴くたびに、味わいが増していくことでしょう。


そのため、一度見たら手放したくなくなってしまうかもしれません…ですが、もし万が一、プログラムをご覧になって「期待していた内容とちがう…」


もしそう思われたのなら、メール1本で全額返金いたします。


そのため、あなた様に一切のリスクはございませんので、安心してお申し込みください。

r e s e a r c h

なぜ今も研究を続けるのか?

田中教授は自身の研究についてこのように言います。



「なぜ80歳になった今も研究を続けるのか?


最近このようなご質問もよく受けますので、最後に少しお答えしたいと思います。


私が今も研究に邁進するキッカケになったのは、

イタリアのフィレンツェに行った時に出会った一人の先生の言葉でした。


その方は、たまたま友人の紹介で出会ったフォスコ・マライーニという先生で、

有名な人類学者のお一人です。


 もうお年でしたが、若いころに日本にいらしたこともあって、アジアに深い関心をお持ちでした。



そしてミケランジェロの丘の近くにあるご自宅の書斎で、

マライーニ先生はこういわれました。


「日本には大変なショックを受けました。日本は私を目覚めさせたのです。西洋人のキリスト教や古典学に依拠しないで、立派な文明をもっている国が、そこにあったからです。


どちらを向いても道徳的一貫性、正義感、精神的な成熟さを示す人々に出会うことができました。そこで西洋のキリスト教が最高の宗教ではなく、相対的、歴史的な存在なのだと知らされました。


日本という国は、その世界地図に小さな位置よりも、はるかに大きな存在なのです」


マライーニ先生の言葉で、私は日本の文化が西洋とは異なった成熟した文明であることを知らされ反省しました。


外国の学者から日本の良さを聞いて心を改めるということは恥ずかしいことです。


ですが私はこのとき初めて、自分が日本人であることを本当の意味で自覚させられたのです。


わかっているようで、わかっていない国、日本をもう一度見直してみよう。 


イタリアから帰国後、私の日本の歴史についての考察がはじまりました。


そして西洋で培った眼と知識を駆使しながら、日本に残る遺跡や美術品を分析していくと、

確かに日本の文化が西洋に匹敵するほどの、非常に高度なものだったことが分かり衝撃を受けました。


同時に、日本文明とは何であるか、日本人の学者によって堂々と述べられていないもどかしさを痛感しました。


それに気づいたのであれば、その知識を日本人に届けなくてはならない。もっと日本の歴史・文化の凄さを知ってほしい。


そして、これは西洋の文化の全てを見てきた自分にしかできない活動である...自分が伝えていくしかない...


だからこそ今も私は、現役で研究を続け、日本の皆様に日本の歴史・文化の奥深さ、素晴らしさを広める活動をしていますし、これは死ぬまで続けて行きたいと思っています。これが確固たる軸となって、私自身の支えになっているのです。」

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