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東北大学名誉教授 田中英道
「才能は70歳で開花する」
葛飾北斎に学ぶ“人生100年時代”の人生論
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おそらく日本人なら誰もが一度は見たことのある絵。

これは、江戸時代に活躍した浮世絵画家・葛飾北斎(かつしかほくさい)が描いた『富嶽三十六景』です。実は、この絵は国内のみならず、海外にも大きな影響を与えたことをご存知でしょうか? 

当時、北斎の大胆な構図や描写は、古典的な西洋絵画の考え方を根底からくつがえす「斬新なスタイル」でした。西洋の美術家たちは、北斎の絵に感銘を受け、次第に浮世絵に憧れを抱き、その表現を自らの創作に取り入れるようになりました。 


ドガ、ゴーギャン、クリムト、フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、マネ、ゴッホなど、、当時ヨーロッパ美術界を席巻した芸術家たちが、北斎の表現法を自らの作品に取り入れ、19世紀後半には、欧米で ”日本美術ブーム” とも言える「ジャポニスム」現象まで巻き起こりました。

「70歳までに描いたものは取るに足らないものだった」

このように、世界の美術界に多大な影響を与え、自身の最高傑作とも言える「富嶽三十六景」ですが、実はなんと北斎自身は、まだこの絵に納得しておらず、満足したものではなかったようです。一体どういうことでしょうか… 北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。

「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するであろうか。100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を得たかのように生きた物になるだろう。このような私の言葉が世迷い言などではないことを、長寿の神には、ご覧頂きたく願いたいものだ。」 

■「富嶽百景」初編跋文(口語訳)

なんと彼は、70歳以前の作品は「取るに足らないもの」だと否定。


例えば、55歳の時に描いた「北斎漫画」は、国内だけでなく西洋でも人気を博すなど、すでに優れた作品を数多く生み出し、評判も高かったのですが、北斎自身の評価によれば、それらも全部「評価に値しないもの」だそうです。 


そして、75歳での作品にも全く満足していません。「いくらかは悟ることができた。しかし、まだ到達すべき先がある」と、80代、90代、100歳に到達するまで、その道を極めようとする意思がはっきり示されています。


先ほどの「富嶽三十六景」は北斎が73歳に描いた作品。つまり、これも北斎の基準からすれば、まだまだ発展途上の作品のようです。 


このような北斎の高い基準は、彼の「絵画」に対する姿勢でも垣間見れます。


当時、日本の画家の多くは、西洋から入ってきた「遠近法」の理論を使っていましたが、北斎だけは、西洋の方法を使うことなく、独自で研究を重ねオリジナルの「遠近法」を編み出しました。

北斎作《富嶽三十六景・江戸日本橋》:北斎は一枚の絵を技法上「三分」して考えました。遠近法を使わず、あるがままに描く空間を「真ん中の三分の1」におき、右と左の三分の一ずつで遠近法を使う手法を用いました。これによって中心の空間が広い空間になり広がりをみせ、窮屈な感じを全く与えない絵画となったのです。日本人の画家としてこうした空間を生み出す技法を北斎は独自に編み出しました。

70歳にしてなお、自分自身で具体的な工夫を凝らし、新しい独自の手法を編み出す... 北斎が世界で評価され、飛躍的に有名になることができた背景には、このような貪欲な仕事に対する姿勢、歳を取っても満足せず常に高みを目指していこうとする生き方がありました。

北斎だけじゃない…昔の人の「老人観」とは?

「北斎が残したこの言葉から、江戸時代までの日本人の「老人観」も見て取れる…」 


こう述べるのは、イタリア・フランス美術史研究における“世界的権威”であり、78歳というご年齢で今なお、国内外問わず「美術研究」の第一線で活躍し続ける田中英道教授です。 


"「北斎の言葉から読み取れるのは、老人の域に入ったからといって変に満足せずに、最後まで『理想』を求める老い方への哲学です。老年期とは、自分が蓄積してきた人生の糧を生かし、それを開花させる…最後のクライマックスとして、これまで以上の仕事をしようと考える時期だったのです。 」"


確かに北斎の話だけを聞くと、「北斎は天才だったからできたのだ!」「彼だけ特別だっただけでは?」と思うかもしれませんが、実はこうした「死際まで自分の道に没頭する」という考え方は当時は珍しくなく、晩年に大成した有名人は数多くいます。 


・「解体新書」や「蘭学事始」など、80歳過ぎるまで「蘭学」を究め続けた杉田玄白。 

・青物問屋を40歳で家督を弟に譲って、有名な「動植綵絵」を描き始めた伊藤若冲。 

・49歳で家業をすべて長男に譲って、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬。 


他にも数えるとキリがないほど。さらに江戸幕府の記録によれば、当時、最高102歳まで役人を続けた人もいた事例や、役人のうち「70歳以上の在職は50人もいた」という記録も残っているなど…ご高齢の方が活躍していたのです。 


もちろん、それは庶民であっても同じく、高齢になっても自分の仕事を続け職人として技術を磨き続けたり、隠居して趣味に没頭したり… 「老年期にこそ何かに挑戦する」という風潮が社会的にあったそうです。こうした考え方が、北斎の言葉に見られる「老人観」の背景にあり、昔の日本人が追い求めた「老人の生き方」でもあったそうです。 


才能は70歳から開花する

ここまでの話を聞いて、あなたはどう思いましたか? 現代に生きる我々からすると、これらの先人の生き方には、少し違和感を覚えるかもしれません。現代では、60〜65歳で定年退職し、仕事はひとまずリタイア。それ以後は、無理せず、悠々自適な老後生活に入る… そんな生き方が一般的であるため、70歳を過ぎても仕事を究め続ける生き方には、「少し無理があるのでは?」と感じてしまいます。 


実際、今と昔では「老後の人生観」がかなり異なっているそうです。田中英道教授によれば、「ある2つの理由によって、明治時代から日本人の価値観が少しずつ変わってしまった」と言います。


1つは「定年制度」。江戸時代までは社会的な「定年」の仕組みは存在せず、有能な人は働けるまでバリバリ働くことができました。(時には社会が老人を必要とし仕事の継続を強要されることも…)ですが、20世紀に「定年制度」が普及し出すと、次第に「60代で仕事はリタイアするもの」という社会的な価値観が広まっていきました。 


そして、もう一つは、「若さ」に対する考え方が変わり、「老い」へのイメージが変わったことです。テレビや雑誌など、人々が目に触れるメディアで若いタレントばかりがもてはやされるようになり、化粧品や健康品のコマーシャルでも、とにかく「若さこそが美である」「若さは良いことだ」と謳われる… こうして多くの人が「若い方が体力もあるし、元気だから良い」と勘違いして、「老い」に対してはネガティブなイメージばかりを持ってしまっているそうです… 


このような理由からか、少しずつ「高齢者へのイメージ」が変わってしまい… 仕事や学問においても、本来なら若者よりも経験が深く、知的にも成熟して、まだまだ活躍ができるはずなのに、「高齢者は役に立たない」「大したことできない」というような雰囲気が蔓延。多くの方が60代前後で引退を余儀なくされ、せっかくの優れた「技術」や「知識」を活かす場を奪われてしまっていると言います… 


さらに今、日本の高齢化に伴って「年金問題」や「医療問題」をマスコミが大きく報道し… 高齢者が増えても「役に立たない人が多くなっていく」、そのようなネガティブな風潮・空気感が社会的に広がりつつあるそうです… 


このままでは、先人たちが尊敬し、人生のゴールとして目指してきた「老人の存在」がどんどん歪められてしまう… それだけでなく、まさに今、世界で類を見ないほどの「超高齢化」を迎えつつある日本で、せっかくの優秀な人材が、社会で活躍することができない、まさに「宝の持ち腐れ」ともいうべき状態が進んでしまう…「若者が少ない」「人手不足だ」と叫ばれる今、精神的にも知的にも成熟した、有能な高齢者層を活かしきれない現状は、日本全体にとって、本当にもったいないことです… 

  

もちろん、生き方は人それぞれであり、自分自身の価値観で決めるものだと思います。 


✔︎60代で仕事を辞めてゆっくりと引退生活を過ごす。 

✔︎パートナーや子供や孫など、大切な人との時間を大事にする。 

✔︎新たな趣味を見つけて没頭する。自分が本当にやりたかったことに挑戦してみる。 

✔︎身体がヨボヨボになるまで仕事を続けて、限界まで挑戦してみる。 


どのような老後の暮らし方も、それぞれ魅力的でかけがえのないものです。 ですが、もしあなたが、「老後も刺激的な毎日を過ごしたい」「自分の人生、もっとやれることがあるのでは…」と思ったことがあったり、残りの人生をどう生きるべきか悩むことが少しでもあるのなら、きっと先人たちの「老後の人生論」を知ることで、あなた自身の生き方のヒントを得られるでしょう。 


そこで今回は、現代の価値観に囚われるのではなく、先人の生き方から今に生かせる教訓を学んでいただきたい… そう想って、田中英道教授をお招きして「先人に学ぶ “70歳の人生論” 」というテーマで、ご講義いただきました。


本講義では、美術史家の田中教授が、江戸以前の「老人像」について、わかりやすく解説してくださいます。「日本人らしい老い方とは、どのようなものか?」「なぜ老人は、“魅力的で美しい”と考えられたのか?」ということもお話ししてくれるので、現代の日本人が失った「理想の老後の生き方」も知ることができることでしょう… 


先人の生き方を知ることで、自分自身の「老後の生き方」のヒントも得られるでしょうし、今後の人生の指針が手に入るかもしれません… 日本人としての誇らしさや生きる自信も感じることでしょう。 

  

詳細は以下の通りです…  


講座内容


講座の内容は…
「人間70歳がスタートライン」葛飾北斎に学ぶ“人生100年時代”の人生論「田中英道が語る、創造のすゝめ」老年こそ“クリエイティブ”の時代「なぜ巨匠は“老いた顔”ばかりを描いたのか?」  ミケランジェロ、ダヴィンチ、ラファエロ…名画に描かれた“老熟”の美しさとは「徒然草に描かれた老年の役割」  兼好法師が語った、老人と若者の決定的な違い「日本の老人は世界一幸せになれる」  ヒントは奈良時代?西行が実行した最幸の晩年「桓武天皇が“ご長寿”をたたえたワケ」  1000年前の日本、社会の発展に“老年世代”が重要だった理由「才能は70歳から開花する」田中英道から日本へのメッセージ
(合計約110分の動画講座)

  などを、歴史上の偉人たちの人生を紐解くことで、深く理解することができるでしょう。「若さ=美しさ」とテレビや大手メディアでいわれる毎日。新聞や広告に溢れるアンチエイジングや健康のための健康商品の数々。仕事をリタイアした後、日々話す人も減り、毎日同じことの繰り返し、なんだかモヤモヤして、鬱々とした気分になってしまう。体が衰えていく毎日に思わずため息が出てしまう、、、。この講座をご覧いただいた後、あなたはきっと、そんなネガティブな感情を吹き飛ばし、歳を重ねることを前向きに捉えることができるようになるでしょう。毎朝「今日は何をしよう?何ができるだろうか?」とワクワクしながら目覚め、老後の人生こそ価値を創り出していくことのできる時間なのだと実感することができるでしょう。そして、田中先生の講義をきくことで、今日という1日を楽しく前向きに生きるための勇気を得ることができるでしょう。

講師紹介

西洋美術史の世界的権威

〜文化遺産を読み解けば、真実の歴史が見える〜

田中教授は、ボローニャ大学・ローマ大学客員教授、国際美術史学会副会長、東北大学名誉教授を歴任。

「西洋美術史の第一人者」と呼ばれています。


24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど... 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けています。


中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における“世界的権威”です。


そんな田中教授は、西洋美術研究の折、ある独特の学問手法を体得しました。それが、形象学(フォルモロジー)です。作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までをも読み取るもので、その観点から日本美術を見た時に日本の素晴らしさに気付いたと言います。


でも、その一方、日本では優れた文化作品が正しく評価されておらず、さらには文化的な要素が歴史の中で飾り物になっていること、本格的な解読や研究が全く進んでいないことに愕然としたそうです。


その実態に危機感を抱き、田中教授は西洋中心だった研究活動を日本中心に転換。「日本国史学会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務め、文献が無ければ真実を見抜くことができない歴史学者に代わり、人類が残してきた様々な文化遺産を紐解き、正しい真実の歴史を日本国民の元へ届ける活動を続けています。


その数は膨大で、著書は合計95冊、主な研究論文は147本以上…その集大成のような内容で、最新研究もあわせて、あなたのもとに真実の歴史をお届けします。

主な田中教授の著書

(全95冊のうち一部)

推薦の言葉

田中英道氏は若年時のジョルジュ・ラトゥール研究で逸速く鋭鋒を表し、西洋文明諸国への留学で身につけた博大な語学力を駆使して、レオナルドやミケランジェロ等の巨大な存在を対象として西洋美術史の王道を歩み、美術史家としての権威を確立した。壮年期に氏は日本文化史の研究に回帰し、代表作『日本美術全史』では、史家がとかく用心して手を出そうとしない個々の作品の価値評価にまで踏み込んで高い見識と自信を示した。この実績が氏を日本史全体の根本的再検討の壮挙に駆り立て、氏は縄文期の造形美に日本文化の真相の基底を探り当て、更に神話の世界に伝わる高天原とは現実にどの地方であるかとの難問にも明快な解答を提出した。「大歴史」と呼ぶべき深遠高大な歴史物語を語り得る知性は現に田中氏を措いて他に無い。

東京大学・名誉教授

小堀桂一郎

田中英道氏は、わが国における数少ない歴史保守の泰斗です。保守を名乗る学者や評論家の多くが、近代保守であることを喝破して、田中氏は西欧近代思想に学んだ近代保守が、その奥に潜むユダヤ思想を敢えて見ようとしないことが、日本の歴史を無視した言論に繋がっている矛盾を指摘されました。歴史的視点からユダヤ思想が左翼思想であることを抉り出し、現在の世界を覆っているグローバリズムやリベラリズムの欺瞞を明らかにした田中氏の講義を聞かれれば、まさしく目から鱗が落ちる体験をされることでしょう。

元駐ウクライナ兼モルドバ大使

馬渕睦夫

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