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これまで遺跡や文化作品の新発見によって、何度も歴史は書き換えられてきました。例えば、青森県三内丸山遺跡の発見で、かつての古代史の常識は一変。住居、集落などの様子から、「縄文人は野蛮人」というイメージは払拭され、独自の高度な文明社会が形成されていたことが証明されました。
神武天皇が建国された時代は、まだ文字が使われておらず文献的な証拠は残されていません。そのため、神社や遺跡といった文化的造形物が古代史を読み解くための重要な手がかりになります。神社の御祭神や石碑にはそれぞれの地域の記憶が残されており、それらを注意深く見ることが歴史の解読には欠かせません。
ですが、多くの歴史家は、文字で書かれた「文献史料」に固執して研究しているため、神社や史跡との関連性に気付いておらず、古代史の研究が正しく進んでいないようです。
西洋美術史の第一人者である田中教授は、50年以上、数多くの文化作品を研究してきた経歴をお持ちです。その過程で、モノの形や模様などから、様々な背景情報を読み取る「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得しました。その手法で古代史を紐解くことによって、言葉がまだ無かった時代の歴史が"魔法"のように浮かび上がり、他の学者では決して見つけられないような鋭い視点から、歴史の真実を掴むことができます。
きっと、先生の見方に一つずつ触れていくことで、今まで見聞きしてきた歴史の知識に、想像もしていなかった真実が加わり、視野が大きく広がり、新たな歴史観が出来上がっていくことでしょう。
人類学の世界的権威:レヴィ・ストロース氏はこう言い残しています。
「世界の神話はほとんど歴史との連続性がない。しかし唯一、日本の神話だけは歴史と結び付いている」
日本では、史実としての歴史が神話の中にしっかりと反映されていて、正しく神話を読み解くことが実際の古代史を知ることに繋がるのです。
しかし、神話をそのまま読めば、天皇の年齢や年代に矛盾が生じ、現実的ではないと思われる箇所が数多く見られるため、これまで歴史学者は、神話をあくまで天皇家の支配を裏付けるための「フィクション(創作)」であると… 正式な"歴史資料"として捉えず、まともに研究をしてきませんでした。
田中教授は、この従来の学者の考え方に真っ向から否定。「古事記や日本書紀の神話は、史実をもとに記述された日本の正史である。歴史家は神話をそのまま読むのではなく、そこに解釈を与えて『現実の歴史』として描き出す必要がある」そのような想いで、これまでの定説や常識を鵜呑みにすることなく、建国神話に秘められた "謎"の真相を神社や遺跡などから紐解き、新しい切り口から「日本国家の成立史」として蘇らせていきます。
田中教授の壮大な歴史観によって、他では聞いたことがないような古代の起源史が分かるとともに、私たち日本人が存在する歴史的背景やルーツが見えてくることでしょう。改めて自国の歴史に対して、本当の意味で「誇らしさ」を感じられるはずです。この知識は、どんな教育よりもあなたの人生に影響があると言っても過言ではありません。
神武天皇による日本建国は、東日本を中心に高度な文化を生み出した長い縄文時代を経て、寒冷化とともに西日本に中心が移っていく弥生時代に行われ、続く古墳時代には"海外の脅威"に対抗すべく中央集権が強化されました。応神天皇の時代には、ユダヤ系の国家ともいわれる西方の「弓月国」から、18,000人もの人々を受け入れており、これらのユダヤ系渡来人の存在が建国を紐解く重要な手がかりとなっていきます。
このように神話の記述を単になぞるだけでなく、その前後の時代を、世界との関係を踏まえて正確に捉えて、朝鮮や中国だけに限らずもっと広い世界的な視点から紐解くことで、日本建国の知られざる側面が見えてきます。
しかし、このような歴史の読み方ができる学者はほとんどいません。日本の歴史や神話に造詣が深いことはもちろん、世界中の文化・宗教・言語・神話など… あらゆる分野に精通している必要があるからです。日本のアカデミアのように、学問分野が細分化され、「特定の分野だけ」を語れる専門家が輩出される今の構造上、ある意味で仕方がないと言えます。
田中教授は、「専門領域だけで解決できる問題などないと言って良い」「専門は広い学問の入り口に過ぎない」といった考え方を持っておられ、実際に、西洋美術史研究でキャリアをスタートさせたあと、日本美術史、考古学、神話学など、あらゆる学問領域をまたいで研究をされています。これほどの広い世界的な視点から、様々な学問を横断し、歴史を分析できる方は、日本国内では田中教授を除いていない、といっても過言ではないでしょう…
弊社では、2020年8月から『NEW HISTORY』という、田中教授の歴史講義が視聴できる会員制サービスを開始しました。古代史から始まり、中世、近世、近現代まで…毎月テーマをひとつ選び、先生に講義していただいています。
『NEW HISTORY』の大きな特徴は、毎月、重要な歴史のテーマを1つ選び、分かりやすく1時間半の長さにまとめて解説する部分にあります。ほどよい分量で、新しい情報や気付きを得ることができますが、限られた時間の中で、深くまで解説することは難しい状態です。田中教授の50年以上に及ぶ研究成果には、まだまだ膨大な数の新情報があり、一つ一つを深く解説していては時間が足りません。
その一方で、本講座では「日本建国」という壮大なテーマに特化して、深くまで掘り下げて解説していただきます。合計5時間ほど、たっぷりと時間を使い、田中教授の研究成果が体系的に理解できるようにまとめています。この講座には、田中教授の「日本建国」に関する知見が全部詰まっていると言っても過言ではありません。
『NEW HISTORY』と内容が少し被る部分もありますが、一つずつ丁寧に学んで網羅的に古代史を理解したい、自分の血肉にしたい、と思われるなら、『NEW HISTORY』と合わせて本講座も受講していただくことをお勧めします。田中教授の深い歴史観を自分自身のものにすることができるでしょう。
〜文化遺産を読み解けば、真実の歴史が見える〜
田中教授は、ボローニャ大学・ローマ大学客員教授、国際美術史学会副会長、東北大学名誉教授としての経歴をお持ちで、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれています。
24才から単身留学。当時は留学すら珍しい時代から、「ルネサンス」発祥の地イタリア、世界最先端の芸術大国フランス、世界有数の文化国家ドイツなど、これら西洋文化の中心地を渡り歩き、研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど... 数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表し、今なお、美術研究の第一線で活躍し続けています。
中でも、フランス語や英語で書いた論文は一流学者が引用する国際的な文献になるなど、イタリア・フランス美術史研究における"世界的権威"です。
そんな田中教授は、西洋美術研究の折、ある独特の学問手法を体得しました。それが、形象学(フォルモロジー)です。作品の表情や手足の動き、モノの形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、文化や宗教的背景までをも読み取るもので、その観点から日本美術を見た時に日本の素晴らしさに気付いたと言います。
でも、その一方、日本では優れた文化作品が正しく評価されておらず、さらには文化的な要素が歴史の中で飾り物になっていること、本格的な解読や研究が全く進んでいないことに愕然としたそうです。
その実態に危機感を抱き、田中教授は西洋中心だった研究活動を日本中心に転換。「日本国史学会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務め、文献が無ければ真実を見抜くことができない歴史学者に代わり、人類が残してきた様々な文化遺産を紐解き、正しい真実の歴史を日本国民の元へ届ける活動を続けています。
著書は合計100冊以上、主な研究論文は147本以上…田中英道の新講座『真・日本建国史』は、その集大成のような内容で、最新研究もあわせて、あなたのもとに真実の歴史をお届けします。
主な田中教授の著書
(一部)
田中英道氏は若年時のジョルジュ・ラトゥール研究で逸速く鋭鋒を表し、西洋文明諸国への留学で身につけた博大な語学力を駆使して、レオナルドやミケランジェロ等の巨大な存在を対象として西洋美術史の王道を歩み、美術史家としての権威を確立した。壮年期に氏は日本文化史の研究に回帰し、代表作『日本美術全史』では、史家がとかく用心して手を出そうとしない個々の作品の価値評価にまで踏み込んで高い見識と自信を示した。この実績が氏を日本史全体の根本的再検討の壮挙に駆り立て、氏は縄文期の造形美に日本文化の真相の基底を探り当て、更に神話の世界に伝わる高天原とは現実にどの地方であるかとの難問にも明快な解答を提出した。「大歴史」と呼ぶべき深遠高大な歴史物語を語り得る知性は現に田中氏を措いて他に無い。
東京大学・名誉教授
田中英道氏は、わが国における数少ない歴史保守の泰斗です。保守を名乗る学者や評論家の多くが、近代保守であることを喝破して、田中氏は西欧近代思想に学んだ近代保守が、その奥に潜むユダヤ思想を敢えて見ようとしないことが、日本の歴史を無視した言論に繋がっている矛盾を指摘されました。歴史的視点からユダヤ思想が左翼思想であることを抉り出し、現在の世界を覆っているグローバリズムやリベラリズムの欺瞞を明らかにした田中氏の講義を聞かれれば、まさしく目から鱗が落ちる体験をされることでしょう。
元駐ウクライナ兼モルドバ大使
本講座は、これまでの研究の集大成として、日本建国に関する膨大な知識を体系的にまとめたものです。大学の授業とは異なり、動画なので講義を何度でも見返すことができるという利点があります。なので、大学の授業料以上の料金も検討しました。
ですが、田中教授の「正しい真実の歴史を日本国民の元へ届ける」という目標をいち早く実現するためにも、多くの方に手に取ってもらいやすくするため、講座の価格は税込27,280円とさせていただきました。
さらに今回は、7月10日(月)まで特別に、税込11,000円も値引きした税込16,280円でお試しいただけるようにしました。
通常価格:税込 27,280円
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安心して試すことができます
お申込み後に、まずは講座を御覧ください。講座を視聴いただき「期待と違うな」と思われたら、ご購入日を起算日として1ヶ月以内であれば、ご注文を取り消すことが可能です。取り消しをご希望の場合、ご注文確認メールに書かれた弊社連絡先までご連絡ください。
私たちダイレクト・グループでは2022年9月時点、過去16年間で累計244万9,000人のお客様に、このような商品サービスを提供してきました。
私たちのカスタマーサポートチームは、91%のお客様から4つ星以上、そのうち81%のお客様より最高の5つ星評価を頂いております。実際、休業日を除くと、48時間以内にはほとんどのメールに対応しております。
「世界一大きなお墓は何か?」
こう問われると、あなたはエジプトのピラミッドを思い浮かべるかもしれません。しかし、世界一大きなお墓はピラミッドではありません。実は、日本に存在するお墓、「大仙陵古墳」という名前の巨大な前方後円墳こそが世界一大きな墓なのです。当時の価値で約1000億円~2000億もの費用をかけて、2,000人が15年以上もの月日をかけて造られたとされる巨大古墳です。
田中教授はこのように仰います。
「巨大建築物を造る伝統がなかった日本で、突然、巨大な古墳が造られるようになったため、果たして本当に日本人が造ったのだろうか、という疑問が残ります。当時、中国や朝鮮で前方後円墳を作っていた痕跡は残されていない。 一体誰が何の目的で造ったのでしょうか?」
「私は、エジプトのミイラと巨大古墳に共通する"ある信仰的な類似点"が、この問題を紐解くヒントになると考えています。端的に言うと、日本で巨大古墳を造った人の中にエジプトを知っている人がいたということです」
巨大な石を運ぶ技術、巨額な資金を投じ大人数を動かす組織力…よほど経験のある人たちではなければ難しい「巨大古墳」の製作者は、遠いエジプトにある"ミイラの文化"と比較することで明らかになるというのです。
今回は、田中教授でなければ見抜くことができない「世界と日本の歴史」を、ぜひあなたにも知っていただきたいと思い、この貴重な動画講義もセットでご提供いたします。これまでの通説を大きく越える、田中教授のお話をぜひお楽しみください。
本講座では、ビジュアル資料をできるだけ沢山盛り込み、右脳で感じれるような面白さをご提供しております。
ですが、「メモを書いたり、自分でイラストを書きながら整理したい」「書き込みながら受講してみたい」「動画に登場する図をもっと大きく見たい」… そんなご要望もあるかと思い特別に、"図版付き"の書き起こし資料もご用意しました。
PDFでのご提供なので、ダウンロードができます。印刷をして書き込んでいただくことも出来ますし、動画の横に並べて、補助資料として使っていただくことも出来ます。
今回は文字だけでなく「図」や「画像資料」も一緒に載せているため、「"カタチ" を見て歴史の真実を紐解く」という、田中教授の「審美眼」をも学んでいただけることでしょう。ぜひ、ご自身なりの受講の仕方で、本講義の内容をさらに楽しんでいただくためにご活用ください。
「世界には190を超える国がありますが、日本が世界最古の国であることはあまり知られていません。海外では常に『王朝交代』の歴史です。
世界史の年表を眺めてみると、各国は数10年~100年程度で『建国』と『滅亡』を繰り返してきたことがよく分かります。
人類史上、400年を超えて国を継続できたのは数える程しか例がありません。
ところが、日本だけは2700年前に建国された王朝を今も守り続ける、世界最古にして唯一の国であるのです」
しかし、残念なことに、世界最古の誇らしい歴史があるにも関わらず、今の日本国民はその事実を教えられていません。戦前までは当たり前に学んでいた建国の歴史が、戦後GHQの占領政策によって否定され、日本人の記憶から次第に消えつつあります。
多くの国民が自国の成り立ちを知らない、建国を成し遂げた自国の初代天皇すら知らない… そんなことが当たり前になってしまった今の惨状は、まさに戦後GHQが望んだ「シナリオ通り」の日本だと言えるでしょう。このまま放っておけば、国民の意識から「建国」の記憶が完全に抜け落ち、何世代にも渡り脈々と繋がれてきた "歴史の糸" が途切れてしまうかもしれません。
敗戦からすでに75年以上の歳月がたった今… 失われた日本の起源を蘇らせることで、私たちの奥底にある「日本人としてのアイデンティティ」を取り戻す時代を迎えているのではないでしょうか。
この講座は、歪められた日本の建国史を復元し、皆さんとともに、私たち日本人のものにしていこうという取り組みです。本講座で真実を知っていただき、私たちの子や孫の世代、その先何百年と続く未来の日本人へ、この「誇らしい日本の歴史」を、あなたと一緒に繋いでいけるとしたら、この上ない幸せです。
お申し込みは簡単です。今すぐ、この下にあるボタンをクリックして、ご参加ください。
彼の敗戦により自信と誇りを失った日本人。日本国民としてのアイデンティティを忘れさせられた日本人。
田中先生の講義は、日本人が失ったものを取り戻すためのエッセンスが詰まっていて、一言たりとも聞き逃せません。
より多くの同胞に受けていただきたい内容であり、継続していきたいと思います。今後とも宜しくお願いいたします。
歴史とはもはや過去の話なんかではなく、今ある自分そのものだと思いました。まさに、毎朝散歩する近所の神社の狛犬が全く違ったものとして新たに私の目の前に現れたのです。
茨城、千葉はもはや、特徴のない首都圏の郊外や農村ではなくなりました。ヨーローッパにばかりあこがれていた私が、高速バスに乗って東国三社に行くようになっていました。
田中先生の話や本は、歴史をつまらないものと思っている人にぜひ知ってほしいものです。
私たちがわからなかった、初代天皇がいたかどうかという、日本歴史、最大の問題を、よく解き明かしてくれました。
これまで神武天皇が、橿原宮で、都を作られ、畝傍山の付近で崩御された、と古事記、日本書紀に書かれながら、その墓をいくら探してもないと状況で、不在説がはびこっていました。
しかし神武天皇が東征された大和には、紀元前660年にふさわしい、大きな橿原縄文遺跡があったというのです。
これらの事実に基づいた田中英道先生による説により、私の長年の疑問が一気に晴れ、とても納得させられました。
何故近くにある神社が違和感なく生活の中に溶け込んでいるのか、そして懐かしく、なくてはならない維持すべき大切な空間・存在として抵抗感がないのか。うれしく思えるのか。
内容はほとんどわからずとも、受け入れてしまうもの。日本人の精神構造の一部として当たり前になっている自分を発見します。
田中先生ありがとうございます。
今まで、何気なく神社に行っていたのが
観点が変わりました。
昔は太陽に向かって手を合わせる人を
よく見たのですが、たまたま最近そこに出くわし、なぜかありがたい気持ちになりました。
その何故かが明らかになりとても充実した講義です。
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昭和17年(1942年)2月20日 東京生まれ
35年(1960年)3月 都立日比谷高校卒業
39年(1964年)3月 東京大学文学部フランス文学科卒業
41年(1966年)3月 同美術史学科卒業
41年(1966年)4月 東京大学文学部美術史学科大学院入学
41年(1966年)10月 フランス政府給費生として留学
44年(1969年)6月 ストラスブール大学ドクトラ(PhD)取得
45年(1970年)7月 国立西洋美術館研究員
48年(1973年)4月 東北大学文学部講師
48年(1973年)10月~ イタリア政府給費生としてローマ大学留学(~49年9月)
51年(1976年)4月 東北大学文学部助教授
53年(1978年)10月〜 ドイツ、ミュンヘン美術史研究所留学(~54年9月)
平成2年(1990年)2月 ローマ大学客員教授
4年(1992年)4月 東北大学文学部教授(美学・西洋美術史講座)
5年(1993年)5月 ローマ大学客員教授
8年(1996年)2月 東北大学文学博士号取得
15年(2003年)4月~9月 ベルリン・フンボルト大学招聘教授
17年(2005年)2月 ボローニャ大学客員教授
17年(2005年)3月 東北大学大学院文学研究科(美術史学講座、美学・西洋美術史専攻分野)教授を定年退官
17年(2005年)4月 国際教養大学特任教授
19年(2007年)2月 ボローニャ大学客員教授
21年(2009年)2月 同上
<2010年以降の著書>
「平成22年以降、すなわち2010年以降、個人的には国際教養大学の特任教授としての任を解かれ(平成23年)、いよいよ教育職から離れて著述に専念出来るようになった。これまでの西洋美術史から日本美術史、そして日本の歴史へと研究のシフトをさらに広めて、日本とは何かを、世界史的な観点から考究するようになった。日本の「本当は何がすごいのか’」シリーズはその成果である。さらに『東京の歴史』から関東、東北の歴史の復権を、「高天原」の考察から始めた。また一方でボローニャ大学での日本の美学のイタリア語の講義をし、日本仏教美術展のローマ開催(2016年)に尽力することが出来た。いわば人生の収穫期を迎えたと言って良いかもしれない」。
1.『やまとごころとは何か』
ミネルヴァ書房 2010年(平成22年)1月発刊
日本史の中の宗教、思想を論じた著書。 神道が縄文文化時代から存在し、それが古墳文化、そして聖徳太子、天武天皇に至るまで一貫した原理になっていることを論じ、そこに仏教文化が移入されて、充実した日本文化の華が開いた。 筆者は神道を共同宗教とし、仏教を個人宗教と弁別し、その両方をもつことにより、はじめて確固とした宗教文化をもつことが出来たと論じている。 その神仏融合の精神が「やまとごころ」なのだ、と。 すでに平成20年までの『新日本学』に連載されていた各論を集大成したもの。 発行が出版社の事情で遅れていた。
2.『日本と西洋の対話―一文化史家のたたかい』
出版社: 講談社出版サービスセンター (2010/10)
美術史学界の第一人者が、西洋中心主義、マルクス主義、自虐史観などを徹底批判。
3.『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』
出版社: 展転社 (2011/07)
4.『芸術家列伝3 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ (白水Uブックス)』
出版社: 白水社 (2011/7/23)
ルネサンス美術を知るうえで最も重要、かつ読み物としての面白さを兼ね備えたヴァザーリの『列伝』は、長い間古典として読み継がれてきた。その中よりルネサンスの二大巨匠を収録。
5.『「写楽」問題は終わっていない』
出版社: 祥伝社 (2011/12/9)
6.『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』
出版社: 講談社 (2012/4/11)
将軍万福、国中連公麻呂、定朝、運慶、湛慶、雪舟、尾形光琳、池大雅、北斎、広重、富岡鉄斎、藤田嗣治、多数の逸名作家…。世界美術史の中でも最高水準にある作家たちは、「民族的・宗教的価値」を超える普遍性=「人間性」の表現を実現した。「時代様式」による記述で、縄文から現代にいたる美術作品を縦横に論じた、新日本美術史がここにある。
7.『日本の歴史 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2012/8/25)
知っていますか?日本の”いいところ”。伝統と文化の魅力がわかる14話。「和歌」「わび・さび」「もののあわれ」「老舗」などユニークな伝統と文化を生んだ日本の魅力を、美術史の国際的権威が、通史のかたちでわかりやすく説き明かす好著。
8.『美しい「形」の日本』
出版社: ビジネス社 (2013/1/30)
遮光器土偶、前方後円墳、法隆寺、聖徳太子、運慶の謎に迫る!そして万世一系の天皇も「形」の美だった!?歴史学者や考古学者が見落としていた真実。
9.『日本の文化 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2013/3/23)
『古事記』『万葉集』『従然草』『富嶽三十六景』、祭り、花見、能、老舗など、日本文化を貫く原理を美術史の国際的権威が、比較文化の視点でわかりやすく説き明かす。日本文化の真髄がわかる全10章。
10.『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2013/6/1)
日本の歴史は、世界史の視点で比べてみるとよくわかる。四大文明と縄文文明、ギリシア神話と日本神話、コーランと十七条憲法、フランス革命と明治維新、欧米型資本主義と日本型資本主義など、ユニークな対比によって描かれた日本の”いいところ”。
11.『本当はすごい! 東京の歴史』
出版社: ビジネス社 (2014/5/23)
日本は東がおもしろい! ? 江戸以降、関東は栄えてきたと思われがちです。しかし歴史を紐解けば関東、とくにいまの東京のポジションは大変ユニークです。どうやら日本建国の謎は関東にあったとしか思えないのです。 決して九州や関西地域ではなく、関東の地にこそ日本建国の秘密があったことの歴史を検証していきます
12.『世界文化遺産から読み解く世界史』
出版社: 扶桑社 (2013/9/25)
ピラミッド、パルテノン、アンコール、兵馬俑坑…政治・経済・文化の結晶である世界文化遺産から”見えてきた”本当の歴史。 『戦後日本を狂わせた左翼思想の正体―戦後レジーム
13.『戦後日本を狂わせた左翼思想の正体―戦後レジーム「OSS空間」からの脱却 』
出版社: 展転社 (2014/10)
14.『日本の宗教 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2014/11/1)
日本が豊かな歴史と文化をはぐくんできた最大の要因は、「自然」を「神」としたその宗教観にある。なぜ日本人は「自然」を「神」と呼んだのか、『古事記』と『旧約聖書』の決定的な違いは何かなど、西洋美術史研究の第一人者が歴史を題材に、比較文化の視点から解き明かす。
15.『日本の歴史 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2015/1/31)
著名な人類学者マライーニ氏の言葉で、著者は日本人の誇りに目覚めた。西洋美術史の権威である著者が、比較文化の視点から、日本の伝統と文化の魅力を通史の形でわかりやすく説き明かす好著。
16.『日本史5つの法則』
出版社: 扶桑社 (2016/1/23)
日本史には法則があり、重要な分岐点では、必ずその法則が働いてきました。 また、その法則に当てはめて検証すると、今日〝定説〟とされていることが誤りである可能性が大きいこともわかってきました。 本書では、日本史を貫く5つの法則を提示するとともに、〝定説〟の誤りに大胆に切り込みます。
17.『日本人が知らない日本の道徳』
出版社: ビジネス社 (2016/1/23)
共同体(コミュニティ)が生き残るための最重要課題をすべての日本人は無意識に行っている! 日本の道徳に世界は感心している! 日本人ほど「道徳」とも思わず道徳を、「信仰」とも思わず信仰をしている国民は世界でも珍しい。 世界が驚嘆する日本の道徳が、いつ頃、どのようにして生まれたのか、どのような意味を持つのかを、歴史を遡り、宗教観や西洋思想と比較しながら考察する。 身近な作法や常識、外来文化から日本の「道徳」を改めて実感できる1冊! 津川雅彦氏激賞! !
テロと戦争の世界を救うヒントは日本にあった! 日本の道徳に世界が近づいている 縄文の自然を畏敬する精霊信仰や生きとし生きるもの全てに命が宿り神が宿る「命の平等」から一万六千年を経て、自然に基づく日本の道徳観がいま! 西洋で注目されているという。 自然の朝昼夕夜、春夏秋冬が繰り返す規律性。自然の極み、自然の怒りに人間の小ささ、儚さ、情の多様さを映しだし、時には人間を叱り、時には優しく包み込む「愛」を感じながら、日本人は大自然から道徳を学んで来たのだと深く納得させられた。 (津川雅彦氏推薦文)
18.『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』
出版社: 展転社 (2016/03/10)
戦後の日本は、GHQの占領政策によって東京裁判史観を植えつけられ、多くの日本人はその誤った反日的歴史観を信じ込まされてしまった。今こそ日本人は、過てる反日的歴史認識から脱却し、正しい歴史認識を取り戻さなければならない。 【推薦の辞】西洋人が書く歴史はまだまだ西洋中心主義で、西洋植民地主義による世界支配の過程をあたかも文明の優劣であるかのように論じる。加えて日本でも欧米でも歴史家はいまだに唯物史観に縛られている。本書は最近世界的ベストセラーになった歴史書などを槍玉にあげ、日本文明を中心に据えた視座から彼らの無知を叱り、偏見を問い質して、〝学問の原点〟に立ち還ろうとする。明治以来の固定観念に閉ざされ、自分の学界の内部しか見ていない日本人歴史家たちには耳が痛いに違いない挑発の書でもある。
西尾幹二
19.『天平に華咲く「古典文化」:続・「やまとごころ」とは何か (MINERVA 歴史・文化ライブラリー)』
出版社: ミネルヴァ書房 (2016/7/30)
日本において本格的な国家はいつ生まれたのか。それは決して近代の産物ではなく、飛鳥から奈良時代にかけての時期に遡る。本書では、『古事記』『日本書紀』の形成、鎮護国家的仏教理論『金光明経』を基にした東大寺や国分寺などの寺院建立、そして『大宝律令』の法令整備などが天皇を中心になされ、ついには世界にもない統一体をもって国家が作り上げられた過程を解明する。『「やまとごころ」とは何か』待望の続編。
[ここがポイント]
◎ 日本という国家はどのように形成されたかを歴史にさかのぼる。
◎ 美術史の第一人者が日本文化の深層を描く。
20.『鎌倉文化の思想と芸術 – 武士・宗教・文学・美術 – 』
出版社: 勉誠出版社 (2016/08/05)
生き生きした創造性を中心とする新しい歴史観を確立、鎌倉文化を再評価する!!
社会、政治、宗教、美術、文学など分野ごとに論じられてきた歴史を統合し、人々の生き生きとした創造性を中心に歴史を再編成する。 運慶の無著像は西行の姿、世親像は文覚上人であるという新発見の論証、など鎌倉文化を再評価する画期的な書。
東大寺大仏の平家による焼亡、その再建を期に、運慶を中心に天平古典復興と、動的なバロック的美術を生み出した。宮廷文化に取って代わり、武家文化が創造されたのである。そこには後白河上皇、源頼朝、運慶の政治的、文化的な深いつながりがあった。
鎌倉文化は「宮廷文化」に代わる「武士」や「民衆」の断絶の文化として、また法然や親鸞、道元や日蓮の「新仏教」の時代として変革の時代として語られてきたが、しかし武士は公家の出身であるし、断絶ではなく過去の様式を十分に継承していたのである。そして浄土信仰という「他力本願」は、仏教本来の「自力本願」の精神を失ってゆき、仏教文化は終焉に向ったのである。
21.『日本の戦争 何が真実なのか』
出版社: 扶桑社 (2016/11/30)
「日本は侵略した」と思っているあなたへ。
22.『増補版 日本の文化 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社文庫 (2016/12/02)
日本文化の精髄は「神道」にあり!
23.『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社文庫 (2016/12/24)
日本人の立場と見方で書かれた「新しい世界史」の試み。
24.『芸術国家 日本のかがやき I 縄文時代から飛鳥時代』
出版社: 勉誠出版 (2017/04月)
独自の文明「芸術国家」を発展させた日本。日本人の感性、知性、創造性の「すぐれ」の淵源は縄文時代の火焔土器や土偶に表れている。形象から把握する新しい日本文化史。
25.『芸術国家 日本のかがやき II 天平時代から鎌倉時代』
出版社: 勉誠出版 (2017/04月)
日本芸術が世界で最も輝いていた時代は天平時代から鎌倉時代においてである。
平安・鎌倉の文化は神道と仏教が統合し、宗教性に裏打ちされた芸術を創造した。古典からマニエリスム、そしてバロックへと形を変えながら、西洋史の時代を超越して、日本の芸術は見事な展開を見せた。
時間軸のみで捉える歴史観ではなく、様式の形式、すなわち文化的達成度の比較から彼我の歴史を見直す。
26.『芸術国家 日本のかがやき III 室町時代から現代』
出版社: 勉誠出版 (2017/04月)
浮世絵は芸術の民衆文化の象徴であり、芸術国家・日本の名を世界的にした。
神々を表現した中世の能、中国や西洋文化の吸収、そして西欧に立ち向かった近代日本―日本文化が大きく花開いた中世・近世から、日本人としてのアイデンティティを問われる現代まで幅広い時代を大観する。
日本の美術・芸術・文学を歴史と画像で実証する壮大な文明論。
27.『日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想』
出版社: ベストセラーズ (2017/04/26)
“西洋の思想”をありがたがるな! 「リベラリズム」は駄目な思想である―
「リベラル」「リベラリズム」とは何か…?「マルクス経済学」(社会主義)から、フランクフルト学派「批判理論」、 フロイト「エディプスコンプレックス」、丸山眞男の日本論「古層」まで、 リベラルの欺瞞と危険性を暴く!「知の巨人」による思想論。
28.『聖徳太子 本当は何がすごいのか』
出版社: 扶桑社 (2017/7/2)
やっぱり聖徳太子は実在した!なぜ、「厩戸王」としてはいけないのか。決定的証拠で「不在説」を粉砕!
29.『高天原は関東にあった 日本神話と考古学を再考する 』
出版社: 勉誠出版 (2017/7/24)
日本古代史の常識を覆す衝撃の一冊!!土偶の造形は「水蛭子」がモデルとなっている!鹿島・香取神宮の存在が、日高見国の位置を明らかにしている!邪馬台国・卑弥呼は実在しなかった!古代の文献と考古学的を読み解けば、新たな古代史が見えてくる。
30.『日本の美仏 50選 』
出版社: 扶桑社 (2017/9/2)
穏やかな、あるいは荒々しい神秘的な仏像の数々。なぜ、見る者の心を落ち着かせるのか。日本全国の最高水準の仏像を一挙公開!西洋美術にも造詣が深い著者が、仏像に祈りを込めてきた日本人の心象風景も踏まえ紹介する珠玉のガイドブック。
31.『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』
写楽は北斎だった!世界に最も知られた日本人北斎の知られざる実像に迫る!
32.『日本の起源は日高見国にあった: 縄文・弥生時代の歴史的復元(勉誠選書)』
出版社: 勉誠出版 (2018/1/31)
「高い太陽を見る国=日高見国」は実在した!美術史の大家が、生物学、神話学、考古学を縦横無尽に博捜して解き明かす、古代史の謎。
33.『天孫降臨とは何だったのか(勉誠選書)』
出版社: 勉誠出版 (2018/3/31)
34.『日本国史 世界最古の国の新しい物語(勉誠選書)』
発行:育鵬社 / 発売:扶桑社(2018/6/2)
35.『日本人を肯定する―近代保守の死』新書
三島由紀夫、江藤淳、西部邁…戦後日本の保守論客たちの自死は何を意味するのか?「近代」思想が破壊しようとする、伝統文化と秩序。
その背景にあるユダヤ思想の正体、そしてマルクス主義との関連を明らかにする。日本人の劣化・自滅は防げるか?
36.『邪馬台国は存在しなかった」 (勉誠選書)
出版社: 勉誠出版 (2018/12/25)
『魏志倭人伝』を疑う。なぜ「卑弥呼」も「邪馬台国」も『魏志倭人伝』にしか登場しないのか?作者・陳寿はどのようにして『魏志倭人伝』を書いたのか?なぜ「卑弥呼神社」は存在しないのか?戦後最大の未解決問題に決着をつける!
37.『日本が世界で輝く時代』単行本
出版社: 扶桑社 (2018/12/27)
世界各国が混迷を深める中、今キラリと輝いているのは、日本の長い歴史と文化である。”いぶし銀”のような実力と価値。新時代のグローバル・スタンダードとしての日本的価値を縦横に論じる。
38.『誰も語らなかった フェルメールと日本』単行本(ソフトカバー)
出版社: 勉誠出版 (2019/08/30)
日本に魅了された画家―オランダの巨匠フェルメールとユダヤ人哲学者スピノザとの関係や、ユダヤ人の東インド会社と石見銀による莫大な利益と繁栄…。17世紀のオランダは、日本・ユダヤを無視しては語れない!西洋美術史の第一人者が語る大画家の謎。フェルメールの作品全36点をカラーで掲載。
39.『発見! ユダヤ人埴輪の謎を解く』新書
出版社: 勉誠出版 (2019/10/11)
衝撃の古代史!高い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげをもつユダヤ人埴輪が多数出土している。それは秦氏一族である。形象学・遺伝子学・文献学から実証解明する。
40.『新しい日本史観の教科書』 単行本(ソフトカバー)
出版社:ビジネス社 (2019/11/3)
歴史は「どう」とらえるかで、誇りにも恥にもなる。古今東西の歴史学を碩学・田中英道が縦横無尽に一刀両断。古事記・日本書紀がいかなる日本を描き、西洋の歴史学がいかにして日本の歴史学を縛り付けているのか?日本の歴史を、正しくとらえる視点を学びます。
41.『ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見』単行本(ソフトカバー)
出版社:扶桑社 (2019/12/1)
歴史の定説を覆す新説!いま、日本史が面白い!千葉県山武郡芝山町の姫塚古墳から、ユダヤ人と思われる埴輪が発見されていた。いったいこれは、どういうことなのか?日本史の見方が変わる30の新視点
42.『老年こそ創造の時代「人生百年」の新しい指針』単行本(ソフトカバー)
出版社:勉誠出版 (2020/2/14)
葛飾北斎90歳、ミケランジェロ89歳。大芸術家たちの「人生100年」論。
43.左翼グローバリズムとの対決 (日本語) 単行本(ソフトカバー)
出版社:育鵬社 (2020/6/21)
今こそグローバリズムへの幻想を捨て、健全なナショナリズムへの転換が必要である。グローバル化の裏に隠れた左翼思想を撃つ!
<2000年代の著書>
西尾幹二氏の要請を受けて、「新しい教科書をつくる会」に入り、氏の後にその会長に就任した(2004年辞任)。
美術史から日本の文化史、そして日本の歴史観そのものに広がっていく時期である。 これまでの日本の歴史観が、高い日本の文化を取り込めない階級史観であったことを批判し、あらたな日本の歴史観を追求している。 『国民の藝術』や『まとめて反論』『新しい日本史観の確立』などはこの運動の中で書かれた書物である。
『やまとごころとは何か』を書き、縄文時代から白鳳時代までの日本の文化と宗教の問題を論じ、日本の思想の原理を追求した後、現在は『天平「古典」文化とその時代』を執筆中である。
2008年、英文の『日本美術全史』(A Hisotory of Japanese Art)がAkita University Pressから出版された。
2009年、レオナルド・ダ・ヴィンチのイタリア語版がエデト―リ・ユニ―ティ社から出版され、3月2日ローマの日本文化会館で出版記念会が開催された。
1.『歴史のかたち 日本の美 論争・日本文化史』
徳間書店 2001年(平成13年)222頁
日本の歴史・文化史を様々な角度から論じたエッセイ集。 網野善彦・梅原猛・蓮見重彦、さらに小林秀雄らも俎上にのぼっている。
2.『法隆寺とパルテノン 西洋美術史の眼で見た新・古寺巡礼』
祥伝社 2002年(平成14年)306頁
奈良・京都の仏教美術を中心としたチチェローネ(案内書)。 法隆寺とパルテノンをはじめ、西洋の諸美術と比べながら、その芸術的特質を論じ、その価値付けから諸寺を訪問すべきと説いており、単なる名所旧跡めぐりと異なる案内となっている。
3.『まとめて反論 「新しい歴史教科書」の思想』
扶桑社 2002年(平成14年)200頁
日本の中学の歴史教科書のマルクス主義的偏向を批判する運動に加わり、著者が「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めたときの、その教科書に対する批判・非難に答えたもの。 共産党不破哲三議長、大江健三郎、「歴史修正主義」批判、美術史学会シンポジウムにおける千野香織氏らのフェミニスムからの批判にまとめて反論している。
4.『国民の藝術』
扶桑社 2002年(平成14年)754頁
筆者の日本の芸術に対する26章に及ぶ、原始から現代に至る大エッセイ集。 『新しい歴史教科書』をつくる会の運動とともに、日本の歴史・文化を新たな視点から再構築したもの。 歴史に従って如何に日本の芸術が変化したか、その文化的な営みを基礎に置きながら、その世界的な特質を論じており、日本文化論の”金字塔”と評価される。
5.『古都の美をめぐる 大人の旅』
扶桑社 2003年(平成15年)166頁
奈良・京都の古寺の見所を芸術的価値に従ってガイドしたもの。 本ページの著書3のガイド・ブック版で、旅行案内として編集されている。
6.『日本美術 傑作の見方感じ方』
PHP研究所 2004年(平成16年)290頁
日本美術史をどう見るか。 これまでの大著・専門書を統合して、わかりやすく新書版にしたもの。
7.『聖徳太子虚構説を排す』
PHP研究所 2004年(平成16年)206頁
筆者のこれまでの聖徳太子論の集大成。 とくに2001年に五重塔の心柱が594年という伐採年代が測定されたのを基本に、法隆寺の非再建説を展開したもの。 聖徳太子が建てた斑鳩寺が、若草伽藍が焼けた後法隆寺となったもので、それはもともと飛鳥時代に建てられていたものとして、再建説を否定している。 同時に三経義疏が太子の著作であり、その思想がその生き方を貫いていることも論じた。
8.『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界像』
東北大学出版会 2005年(平成17年)
著者30年以上のレオナルド・ダ・ヴィンチ研究の集大成。 同時に外国の読者のため、英文・伊文原稿を収めた。
9.『新しい日本史観の確立』
PHP研究所 2005年(平成17年)
西洋のキリスト教史観・ギゾーなどの近代史観・ヘーゲル史観・ランケ・ウェーバー・マルクス、そしてアナル派など、日本の歴史観に影響を与えた西洋の歴史観を研究し、、あた皇国史観・マルクス史観などによる日本史の見方を批判し、新たな日本の歴史観の確立を目指した歴史観の検討の書。
10.『支倉常長―武士、ローマを行進す (ミネルヴァ日本評伝選) 』
ミネルヴァ書房 2007年(平成19年)
支倉常長(一五七一~一六二一)、織豊期~江戸初期の仙台藩士。伊達政宗や徳川家康の意を受けて太平洋と大西洋を渡り、遙かスペイン、ローマまで派遣された支倉六右衛門常長。日本人初の西洋使節として成功を収めたにも関わらず、従来不当に評価されてきた歴史的意義を検証する。
11.『モナ・リザは、なぜ微笑むのか』
PHP研究所 2008年(平成20年)3月
西洋美術史研究の第一人者が読み解く。名画が語る天才の真実。
12.『A History of Japanese Art』
Akita International University Press, June, 2008.
Hidemichi Tanaka, professor emeritus of Tohoku University, is a leading historiographer of arts in Japan.
13.『日本史の中の世界一』
育鵬社 2009年(平成21年)
日本史の中から、世界一と思われる50の項目をあげ、それがいかに世界的に評価されるかを論じた本。 戦後の自虐的な左派の日本史家も評論家たち、ジャーナリストたちの多くが、西洋・中国コンプレックスを根強くもっているために、これほど多くの事が世界一であったか、自信をもって指摘出来ないでいた。 筆者は50項目のうち、半分ほどを執筆し、縄文時代から江戸時代まで幅広く論じている。 とくに日本の知識人のコンプレックスを批判した「はしがき」「あとがき」は面白いという評価がある。
14.『Leonardo da Vinci』
Editori Uniti, Roma – January 1, 2009
<1990年代の著書>
この年代は私の研究が西洋から日本にシフトする時期である。
西洋最高峰のレオナルドやミケランジェロの研究を通じて、西洋文化の本質をつかむことが出来たと考えた後、その似た内容が日本の美術に有ったことを意識した。 『日本美術全史』を書いたあと、『天平のミケランジェロ』『運慶とバロックの巨匠たち』を上梓したが、その成果である。 また『写楽は北斎である』もまたその一環である。
1.『美術にみるヨーロッパ精神』
弓立社 1993年(平成5年)220頁
西洋美術史上のさまざまの問題、例えば修復された絵画や、自画像の系譜や、ラファエッロ・ゴヤ・デューラー・ダリなど近代画家と過去の芸術家の関係を論じたものなどを収録したもの。 とくにラファエッロやダリの論考は新所見として学会でも引用されている。
2.『西洋美術コレクション名作集』『同全作品集』
西洋美術史研究所 1993年(平成5年)各80頁・171頁
日本の西洋美術作品の個人コレクション約550点の調査・選別を行い、その全作品のカタログを制作したもの。 とくにその中で80点ほどを選別し、名作集として編んだ。 これらの作品の大部分は西洋でも未発表のもので、新たな調査と同定作業が必要であった。 中にはレンブラント、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロの真作があるが、ティントレット、ルーベンス、ヴァン・ダイクなど新たな調査が必要で、このカタログ集自体、生の作品を相手にした研究の一端である。
注:ただし、このコレクション自体未だに成立していない(2004年現在)。
3.『支倉六右衛門と西欧使節』
丸善ライブラリー 1994年(平成6年)228頁
筆者によるローマ・キリナーレ宮において支倉六右衛門とその一行のフレスコ画同定及び、ボルゲーゼ宮における同人物の肖像の作者発見の美術史的研究の新たな研究によって生まれた、支倉六右衛門の西欧使節の分析の書。 西欧における当時の高い評価はこの施設の新たな検討を必要とする。 美術史の発見から新たな歴史の検討を行っている。
4.『イタリア・ルネサンス2』(世界美術大全集12)
久保尋二・長尾重武との共著(「ミケランジェロ・ブオナローティ」89-180頁、「16世紀初期のフィレンツェ美術・メランコリスムの傾向」245-272頁、「素描芸術の確立」353-364頁の各項及び作品解説を担当)
小学館 1994年(平成6年)466頁
ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画の修復が終了し、その調査結果に基づきこの巨匠の新たな面を掘り起こしている。 修復以後の最も新しい全体論である。 また、新たにアンドレア・デル・サルトや「メランコリスム」の研究を行い、「素描芸術」の役割の大きさも論じている。 世界に先駆けて『最後の審判』の修復後最初の写真を掲げ、その検討を行っている(28-109頁)。
5.『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』
講談社 1995年(平成7年)398頁
長年の西洋美術の研究から新たな視点で日本美術全史を見直したもの。 とくに日本美術史で欠けていた「様式史」を導入し、奈良時代に「古典主義」をおき、平安時代に「マニエリスム」、そして鎌倉時代に「バロック」を様式として分析し、作品の世界的な価値を論じたもの。 日本で初めての「様式論」的な日本美術史であり、作家中心の絵画・彫刻史である。
6.『天平のミケランジェロ 公麻呂と芸術都市・奈良』
弓立社 1995年(平成7年)236頁
西洋美術の研究方法から新たな「様式」論的な研究に基づき、奈良時代の東大寺大仏の建立の時代の作家、国中連公麻呂の作品を認定した論文を中心に、奈良時代の芸術、仏教の個性的な存在や名前の重要性を指摘し、この時代の文化の世界的な価値を論じたもの。 ここには「止利仏師」が『救世観音』の作者である、という新たな指摘もある。
7.『運慶とバロックの巨匠たち 「仁王」像は運慶作にあらず』
弓立社 1997年(平成9年)254頁
鎌倉時代の美術を動勢の強いバロック様式ととらえ、運慶・湛慶・康弁・康勝・定慶らの彫刻作品を分析し、カタログを付し、さらに画家として『源頼朝』像などの肖像画を藤原信実に、「平治物語絵詞」を住吉慶忍に、また「大燈国師」を無等周位にそれぞれアトリビュートし、それぞれの作品をカタログに付して論じている。
8.『ミケランジェロの世界像 システィナ礼拝堂天井画の研究』
東北大学出版会 1999年(平成11年)400頁、図版多数<
Michelangelo’s Vision of the World, The studies of Sistine Chapel ceiling paintings, Tohoku University Press, 1999, 400 p.
1985年から90年にかけて行ったシスティナ礼拝堂天井画の調査に基づく、『美術史学』に七回に渡って分載された調査報告書をまとめたもの。 500年に一度という修復が行われた天井画を足場に上って詳しく調査したもので、その技法と同時にその全体の四大元素を基本にして擬人像としてとらえたもの。 これは東北大学に提出され、文学博士論文となったものである。
9.『写楽は北斎である』
祥伝社 2000年(平成12年)404頁、図版多数
日本美術史上の謎・写楽は一体誰か、という問題に答え、写楽=北斎説を詳しく展開したもの。 山根有三教授の推薦の辞にもあるように、その類似性を明確に論じている。 これ以後、この説を批判する説は出ていない。
<1980年代の著書>
1978年のミュンヘン留学を境にして、文芸畑を離れ、美術史という学問に集中することになった。
ドイツにおける1年は、学問の深さをさらに学ぶ時期となり、80年代は研究に集中することが出来た。 500年に一度と言われたミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画の大修復があり、文部省の海外調査費用を得て、調査団の責任者となり、85年から毎年、ヴァチカンでの調査に赴くことになった。
一方で西洋美術の東洋からの影響問題に関心をもち、ルネッサンスを「ネッサンス」である、と考察するようになった。 つまりギリシャの再生ではなく、あらたな西欧の誕生の時期であったということである。
1.『ル・ネサンス像の転換 理性と狂気が融合するとき』
講談社 1981年(昭和56年)317頁、図版97(付英文レジュメ)
筆者はブルクハルト以来の「ルネサンス」という概念の検討を行い、これが古代ギリシャ・ローマと近代西洋を結ぶ結節点として、西洋中心主義のイデオロギーを担うものであることを指摘したうえで、果たして「ルネサンス」文化が「古代」の再生か、という疑問に答える。 まずゲルマン民族の大移動やイスラム文化によって断絶しており、13・14世紀のモンゴルの西征による東洋の存在に刺激を受けた結果が「ルネサンス」であり、それは新しいキリスト教文化、ルネサンスであると結論する。 これは西洋歴史観の批判として評価されている。
2.『画家と自画像 描かれた西洋の精神』
日本経済新聞社 1983年(昭和58年)210頁、図版130
講談社学術文庫版 2003年(平成15年)260頁
西洋美術史における自画像の歴史をとらえ、そこに西洋に思想史の変化を論述したもの。 15世紀イタリアの画家自身が職人から芸術家への意識の変遷の中から、芸術家自身の創造主としての自意識が生まれた時代から現代までの変化をとらえている。 とくにレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、デューラーそしてレンブラントなどの巨匠からゴヤ、ピカソなどの近・現代の大画家がどのように自己を描いたか具体的に論じ、メランコリーから無関心への人間観を指摘している。
3.『ミケランジェロ』(世界の大画家8)
中央公論社 1983年(昭和58年)98頁
ミケランジェロの絵画作品のみを論じたもので、そのカタログの記述を行っている。 弟子の作品と区別し、巨匠の参加の度合いも指摘している。 とくにシスティナ礼拝堂天井画の記述では、これが創世記の図解だけでなく、四裸体像のように当時の宇宙観の反映があり、それだけではなく全画面・全人物像に渡って四大元素などを中心にした擬人像として描かれていることを述べている。 さらに『最後の審判』『聖パオロの殉教』『聖ペテロの磔刑』などのあらたな解釈を行っている。
4.『フォルモロジー研究 ミケランジェロとデューラー』
美術出版社 1984年(昭和59年)372頁、図版232(付英文・独文・伊文レジュメ)
これまでの両巨匠の個別研究の集大成で、七編の論文と「フォルモロジー」という著者の新しい美術の分析方法を示した序文をつけ加えている。 これは(1)形象の取出し(2)比較(3)解釈(4)作家(5)歴史の5段階で美術作品と分析していくもので、これを各論文で適合させている。 とくに作家固有の図像学に注目し、これまでと異なった分析を示しており、それがミケランジェロとデューラーの作品に応用されてこれらの美術の新たな解釈となっている。
5.『光は東方より 西洋美術に与えた中国・日本の影響』
河出書房新社 1986年(昭和61年)310頁、図版227(付英文レジュメ)
本書は3部に分かれ、第1部はジョットの時代(イタリア14世紀)のモンゴルを通じて東洋の影響をパスパ文字模様や容貌表現から指摘し、第2部ではシノワズリーの影響を17世紀のオランダ・フランス美術から、第3部ではジャポニスムの問題をフランス印象派を中心として論じている。 この書によって新たな視野が開かれ、西洋で引用されたり、NHK『大モンゴル』などの番組の骨格が作られたりしている。
6.『ルーヴル美術館3 ルーヴルとパリの美術』 吉川逸治・佐々木英也との共著(15・16世紀イタリア美術担当)
小学館 1985年(昭和60年)575頁
筆者は15・16世紀のイタリア美術史を担当し、およそ300枚の原稿を書いている。 ルーヴル美術館の作品は解説の形で行っているが、本文では15世紀イタリア美術史の流れを自然主義と唯美主義に区別し、またマニエリスムの時代もそれとメランコリスムと区別し、新しい区分を行い、新たな提起を行っている。
7.『イタリア美術史 東洋から見た西洋美術の中心』
岩崎美術社 1990年(平成2年)640頁 図版550
日本人学者が書いた初めてのイタリア美術史の書。 14世紀絵画の東洋の影響をはじめ、16世紀の「巨匠の誕生」では筆者のこれまでのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの研究の集大成を行い、さらにこれまでの「マニエリスム」の名でくくられてきた画家を「メランコリスム」と区別したり、社会の変化とともに17世紀以後の美術を論じ、20世紀のその衰退まで、その流れを明快に追っている。
<1970年代までの著書>
この時代は、東大の学生時代からフランス留学をへて、西洋美術館時代(1970年から1973年)、東北大学に就職する時代の仕事が中心である。文芸評論家・江藤淳氏のすすめで古山高麗雄編集長の『季刊藝術』に文芸評論を始めた。 しかしストラスブール大学でのフランス語で書いたドクター論文の最高点による審査は、西洋の学問のレベルを体得させ、将来の学問の自信になった。吉川逸治東大教授の推薦で、フィレンツェ留学を1970年に果たし、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究を始めた。 ラ・トゥール、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの連載を『季刊藝術』で次々と行い、それらが書物となって出版された。一方で吉川教授の監修にかかる美術全集に上記の作家・作品論を書くことが多かった。 まだ文芸と美術史との間を往復していたが、次第にイタリア・ルネッサンスに深入りしていった。
1.L’oeuvre de Georges de La Tour.
1969年(昭和44年)6月 Université de Strasbourg (dactolographie) 188p, 200 illustrations.
17世紀のフランスの画家ラ・トゥールについて、様式とその図像から分析し、当時ほとんど未解明であった『聖セバスティアヌス』図をはじめ、『聖ヒエロニムス』図等の年代設定を行い、とくにその作風形成の時代を検討して後の研究に大きな影響を与えた。 その後1972年にパリで大展覧会が行われた際のカタログ、その後のこの画家のモノグラフに基本文献として掲載され、引用も多くされている。
2.邦訳『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』
造形社 1972年(昭和47年)246頁、図版56頁(付仏文レジュメ)
3.『冬の闇 夜の画家ラ・トゥールとの対話』
新潮選書 1972年(昭和47年)214頁
ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールについての文学的エッセイ。 雑誌『季刊藝術』に連載されたものを一冊に収録。
4.『ミケランジェロ』(世界美術全集6) 吉川逸治との共著
集英社 1975年(昭和50年)120頁
ミケランジェロの全作品を分析しながら、その思想的、形象的意義を跡づけたもの。 代表作システィナ礼拝堂天井画に四大元素などの擬人像があることの指摘や、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響があることが分析されている。 『ピエタ』像の系譜をたどり、最後の『ロンダニーニのピエタ』にレオナルド・ダ・ヴィンチの愛の二重人物像の形象があることを述べている。 全作品カタログを制作し、1点1点を解説した。
5.『文学の転身』
泰流社 1976年(昭和51年)254頁
「日本文学とは何か」「西洋文学とは何か」という大きな主題のエッセイだけでなく、漱石論・江藤淳論・三島論などを含む著者の1975年(昭和50年)までの文学評論を集めたもの。
6.『微笑の構造 レオナルド・ダ・ヴィンチの二重人物像』
小学館 1977年(昭和52年)205頁
1970年にフィレンツェに私費留学した際、ウフィツィ美術館に通い、レオナルド・ダ・ヴィンチの『三王礼拝図』の中にすべての人物がカップルで二人ずつ描かれているのを発見し、それが当時のネオ・プラトニスムの影響であることを解明した。 その論文は学会誌に掲載され、英文に翻訳されてケネス・クラークをはじめ研究者に大きな反響を呼んだ。 その論文を中心に『モナ・リザ』に関する論考を集め、一冊の本にしたもの。
7.『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(世界美術全集5) 下村寅太郎との共著(全作品解説、カタログを執筆)
集英社 1977年(昭和52年)124頁
レオナルド・ダ・ヴィンチの全作品を分析し、そこに通底する思想を探ったもので、初期の『三王礼拝』図の図像的な解明から、晩年の『大洪水』の構想まで、巨匠の一貫した形象的表現を追求している。 とくに全作品のカタログとして、弟子との関係に留意したアトリビューションを行っている。 また、『モナ・リザ』の分析はこれが代表作であるだけに、モデルやその歴史的背景を追い、国際的な新解釈として評価されている。
8.『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(世界の素描1)
講談社 1977年(昭和52年)大版32頁
レオナルドの素描は900点に及び、彼の作品の重要な部分を占めるが、絵画の準用のもの・科学建築関係のものがある。 しかし、それだけで独立した作品が多く、それらを分析すると意外に「グロテスク」のテーマと「大洪水」のテーマが主なものとなっていることがわかる。 彼が絵画という特性を認識したうえで、「醜さ」と「恐ろしさ」を如何に表現するかに腐心しているかがこれらの素描からわかる。
9.『レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術と生涯』
新潮社 1978年(昭和53年)320頁、図版140(付英文レジュメ)
講談社学術文庫版 1992年(平成4年)426頁(解説・杉浦明平)
レオナルド・ダ・ヴィンチの二重人物像の発見を機に、巨匠の研究を様々な観点から行い、『アンギアリの戦い』・『岩窟の聖母』・『聖アンナ画稿』・シャンボール宮などの新発見を加えながら、その全作品とその生涯を書いたもの。 彼の絵画論にある、芸術に対する考察・その主題の分析を行い、レオナルドの全く新しい作家論を展開している。 これはルネサンス研究家杉浦明平により同年のベストスリーの書物と評価され、氏の解説が加えられて1992年に講談社学術文庫により再版された。
10.イタリア語訳 Leonardo da Vinci, la sua arte e la sua vita,
tradotto da Toshio Tanaka e Mario Zallio, Suwa, 1983. 292p. 141 illustrations.
11.『若き日のミケランジェロ』
新潮社 1979年(昭和54年)212頁、図版80(付英文レジュメ)
『ミケランジェロ』
講談社学術文庫版 1991年(平成3年)320頁(解説・中江彬)
1975年に東京でミケランジェロ生誕500年記念学会が開かれた際、筆者はシスティナ礼拝堂天井画の分析を行い、天井画中央の5組ある四裸体像が、四大元素・四気質・四つの時などの擬人像であることを解明した。 また、ミケランジェロの青年期の作品を検討し、そこに父・母へのコンプレックスが反映していることを指摘し、その芸術の中にまたレオナルド・ダ・ヴィンチとの対決もあったことも分析した。 この書物は1991年に中江彬の解説のもとに講談社学術文庫により再版された。
<編著・訳書>
編著
1.『西洋美術への招待』
東北大学出版会 2002年(平成14年)(監修・執筆)
2.『国際シンポジウム 日伊文化交流の500年 報告書』
ローマ大学出版部 2003年(平成15年)
訳書(共訳を含む)
1.F. G. パリゼ『古典主義美術』
岩崎美術社 1972年(昭和47年)
2.E. オルランディ編『ダンテ』
評論社 1976年(昭和51年)
3.E. オルランディ編『ディッケンズ』 田中俊子との共訳
評論社 1976年(昭和51年)
4.E. オルランディ編『ジョット』 田中俊子との共訳
評論社 1980年(昭和55年)
5.E. オルランディ編『デューラー』
評論社 1980年(昭和55年)
6.Ch. トルナイ『ミケランジェロ 彫刻家・画家・建築家』
岩波書店 1978年(昭和53年)
7.『ルネサンス画人伝』 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロを担当、後者は森雅彦との共訳
白水社 1982年(昭和57年)
8.E. ウィント『ルネサンスの異教秘儀』 藤田博・加藤雅之との共訳
白水社 1982年(昭和57年)
9.クリバンスキー、バノフスキー、ザクスル『土星とメランコリー』 榎本武文・尾崎彰宏・加藤雅之との共訳
晶文社 1991年(平成3年)
この書物はいわゆる「ルネサンス芸術」を理解する上での必読書である。
「メランコリー」という概念なしでは、この時代の芸術思想は理解できない。
<1970年代以降の研究論文>
1.「ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥールの画風変遷の一考察 ― 細部描写の検討による ―」
『美術史』64 1967年3月 129-143頁(付仏語レジュメ)
2.“Georges de La Tour dans ses rapports avec Le Clerc, Callot et Rembrandt”,
L’Imformation d’Histoire de l’Art, 1970 mars-avril, pp.55-60.
邦訳:「ラ・トゥールとル・クレール、カロー、レンブラントとの関係」
『国立西洋美術館年報』4 1970年 47-57頁
3.“Une Analyse des oeuvres de Georges de La Tour”,
Actes des Congès International Histoire de l’Art, 1969 (publié en 1971), pp.270-275.
4.「レオナルド・ダ・ヴィンチ『三王礼拝図』の一考察、その二重人物像について」
『美術史』80 1971年3月 137-160頁(付仏語レジュメ)
5.“The Double Persons in the Adoration of the Magi of Leonardo da Vinci”,
Annuario X, Istituto Giapponese di Cultura a Roma, 1972-73, pp.81-108, 48 fig.
6.「北斎、広重とヴァン・ゴッホ」
『国立西洋美術館年報』5 1971年 14-24頁(付仏語レジュメ)
7.「モネと日本浮世絵」
『国立西洋美術館年報』6 1972年 33-44頁
8.「<裸>と<着衣>のあいだ[ゴヤ論]」
『美術手帖』353 1972年3月 204-219頁
9.「パリのラ・トゥール展」
『みづゑ』813 1972年11月 80-84頁
10.“Una nuova amalisi sulla Sant’Anna e sul San Giovanni di Leonardo da Vinci, dal punto di vista dei‘doppi personaggi’”,
Annuario XI, 1973-74, pp.53-64, 21 fig.
11.「アンジェリコの時間 ― キリスト教芸術論序説」
『ユリイカ』 1973年9月 212-219頁
12.「フランス・ルネッサンス美術、ディアーヌの森」
『学燈』70(12) 1973年12月 48-51頁
13.「ゴシックとルネッサンス」
同誌71(1) 1974年1月 44-47頁
14.「“最高の画家”との出会い」
同誌71(2) 1974年2月 48-51頁
15.「“この上なきキリスト者たる”フランス王」
同誌71(3) 1974年3月 44-47頁
16.「幻のロモランタン宮」
同誌71(4) 1974年4月 44-47頁
17.「“ゴシック”と“ルネッサンス”」
同誌71(5) 1974年5月 38-41頁
18.「フランス宮廷への誘い」
同誌71(6) 1974年6月 48-51頁
19.「新しき肖像画」
同誌71(7) 1974年7月 47-50頁
20.「アンドロギュノスの王の姿」
同誌71(8) 1974年8月 47-50頁
21.「ふたごのヴィーナス」
同誌71(9) 1974年9月 44-47頁
22.「裸のモナリザたち」
同誌71(10) 1974年10月 45-48頁
23.“Une Observation sur les tableaux doubles de Georges de La Tour”,
Actes de Congres International d’Histoire de l’Art de Grenade, 1974, pp.72-84.
24.「フラゴナール『錠前』について」
『美術史』89 1975年9月 22-24頁
25.「ミケランジェロ作システィナ礼拝堂天井画の四裸体擬人像群、四要素の表現として」
『Spazio』12 1976年9月 52-68頁、47図
再録:『ミケランジェロ研究 ―生誕五百年記念ミケランジェロ学会報告』
平凡社 1978年 93-138頁
26.“A new Analysis of lgnudi in the Sistine Chapel Ceiling by Michelangelo, As symbols of fourfold elements”,
Spazio 12, 1976 pp.53-68, 47 fig.
27.“Leonardo’s Isabella d’Este, A new Analysis of Mona Lisa in the Louvre”,
Annuario XII, 1976-77, pp.23-35, 7 fig.
28.「ジャポニスム ―マネとセザンヌ」
『別冊太陽』冬号 1977年 165-171頁
29.「浴槽のふたりのヴィーナス ― 『ガブリエル・デストレとその姉妹』の人文主義的解釈」
『美学』27(4) 1977年3月 52-63頁、12図
30.「御伽草子の絵と文章 ―日本のルネッサンスへの疑義」
『國文學 解釈と教材の研究』22(16) 1977年12月 68-73頁
31.「幻の壁画の再構成、レオナルドの『アンギアリの戦い』とミケランジェロの『カッシーナの戦い』」
『Spazio』17 1977年 18-40頁、32図
英文レジュメ:“The battle of Anghiari by Leonardo and The battle of Cascina by Michelangelo”,
Spazio, 1977, pp.40-42.
32.“Les Deux Venus au Bain, Une nouvelle analyse de la‘Gabrielle d’Estrées et une de ses soeurs’du Louvre”,
Art History (Tohoku University) 1, 1978, pp.21-31.
33.「チヴァーテ、サン・ピエトロ・アル・モンテ教会堂の壁画 ― 身廊壁画断片新発見による再検討」
『美術史学』1 1978年 33-56頁
再録:『欧州中世美術史蹟学術調査報告』(東海大学調査団編)
東海大学 1978年 33-56頁
伊文レジュメ:“Una nuova analisi del San Pietro al Monte di Civate ― riguardante la Scoperta del frammento nuovo nella nevata”,
Art History (Tohoku University) 1, 1978, pp.49-50.
34.「ミケランジェロ『最後の審判』とは何か ― カヴァリエーリへのデッサンとの関係」
『Spazio』22 1979 78-99頁
35.“Il Giudizio Universale di Michlangelo e i disegni per Cavalieri”,
Annuario, Istisuto Giapponese di Cultura, XVII, 1980-1981, pp.21-50.
36.「ラ・トゥール派の問題 ― 新作品『火鉢を吹く少女』について」
『美術史学』2 1979年 165-172頁
仏訳:“Problème de l’école de Georges de La Tour ― A propos d’une nouvelle Fillette au braisier ―”,
Art History (Tohoku University) 2, 1979, pp.182-188, 21 fig.
<1980年代以降の研究論文>
1.“Four Slaves of the Tomb of Julius II by Michelangelo”,
Art History (Tohoku University) 3, 1980, pp.17-23, 20 fig.
2.「<ルネッサンス>期の「神」と「愛」、フィチーノとレオナルド」
『神観念の比較文化論的研究』(東北大学文学部日本文化研究所編)講談社 1981年 1155-1191頁
3.“Dürers Porträtkunst im Jahre 1526 und die‘Vier Apostel’, Eine neue interpretation basierend auf dem Ausdruck des‘Vier Temperamente’”,
Das Münster, 3, 1981, pp.217-226.
4.「デューラー作1526年の肖像画と『四教徒』像 ― 「四気質」表現について」
『美術史学』4 1982年 99-112頁、20図
5.「江戸の遠近法 ― 浮世絵の西洋への影響」
『季刊江戸っ子』29 1981年冬号 18-24頁
6.「仙台で発見されたロマネルリの『巫女』図」
『美術史学』4 1982年 119-124頁
伊文:“La‘Sibilla’di Romanelli scoperta a Sendai”,
Art History (Tohoku University) 4, 1982, pp.126-130.
7.「ジョットと中国絵画 ― バルディ礼拝堂絵画の研究」
『ルネッサンス美術とその世界像 ― 日伊学術シンポジウム報告書』東京新聞社 1982年 293-317頁
伊訳:“Giotto e la Pittura Cinese, Un esame degli affreschi della Capella Bardi”,
L’Arte del Rinascimento e la sua Universarità, Atti del Simposio di Studi Italo-Giapponese, 1-3 novembre 1980, Tokyo, 1982, pp265-292.
8.「ミケランジェロ作パオリーナ礼拝堂壁画の考察 ― そのカヴァリエリとコロンナへのデッサンとの関連」
『東北大学文学部研究年報』31 1981年 143-190頁(付英文レジュメ)
9.「デューラーの四気質表現 ― 肖像画、聖母子及びヤーバッハ祭壇画」
同誌33 1983年 71-110頁、50図
10.「ルーベンス派の『メレアグロスとアタランテ』とセザンヌの未公刊デッサン ― 秋田市・平野政吉美術館調査報告」
『美術史学』5 1983年 5-16頁
英訳:“Meleagros and Atlante of the school of Rubens and an unpublished drawing of P. Cézanne, A study of the works in Hirano-Masakichi Museum at Akita”,
Art History (Tohoku University) 5, 1983, pp.1-4.
11.「フェルメール・真珠の画家 ― その東洋からの影響」
『ユリイカ』16(3) 1984年3月 124-134頁
12.「ジョットへのモンゴル、中国の影響 ― 『聖フランチェスコ伝』とスクロヴェーニ礼拝堂壁画の考察」
『美術史学』6 1984年 151-172頁、38図
英訳:“Giotto and the influences of the Mongols and the Chinese on his art ― A new anlysis of the Legend of St.Francis and the fresco paintings of the Scrovegni Chapel ―”,
Art History (Tohoku University) 6, 1984, pp.174-188.
13.「ペゴロッテイの『商業指南』 ― 訳と注釈」(訳は田中俊子と共訳)
『イタリア学会誌』33 1984年 148-170頁(付仏文レジュメ)
14.「14世紀シエナ派絵画とモンゴル・中国の影響 ― シモーネ・マルティーニとA. ロレンツェッティの主要作品分析」
『美術史学』7 1985年 148-170頁、40図
英訳:“Fourteenth Century Sienese Painting and Mongolian and Chinese Influences ― The anlysis of Simone Martini’s and Ambrogio Lorenzetti’s major works ―”,
Art History (Tohoku University) 7, 1985, pp.172-190.
15.「ワットーとシノワズリー、『シテール島の巡礼』について」
『日本文化研究所報告』21 東北大学日本文化研究施設 1985年 45-68頁(付仏文レジュメ)
16.「<メランコリー>の現代的意義 ― デューラーの三部作に寄せて」
『西洋芸術における「メランコリー」概念の史的考察』(昭和59・60年度科学研究費補助金[一般研究B]研究成果報告書) 1986年 1-16頁
17.「ミケランジェロ作システィナ礼拝堂天井・壁画の図像プログラム ― 『黄金伝説』序章とエジディオの講話の重要性 ヴァティカン・システィナ礼拝堂調査報告 第1回」
『美術史学』8 1986年 66-82頁、20図
英訳:“The Program of the Ceiling paintings of Michelangelo in the Sistine Chapel. On the Libellus of Egidio da Viterbo and the introduction of the Golden Legend”,
Art History (Tohoku University) 8, 1986, pp.63-65.
18.「ウィントの芸術論」
エドガー・ウィント『ルネサンスの異教秘儀』(藤田博・加藤雅之との共訳)晶文社 1986年 406-425頁
19.「ミケランジェロの建築」
『KAWASHIMA』22 1987年3月 7-8頁
20.「初期イタリア美術史の再検討 ― ジョット以前」
『東北大学文学部研究年報』36 1986年(1987年発行) 27-68頁、42図(付英文レジュメ)
21.「ボッティチェルリ『書斎の聖アウグスティヌス』 ― アウグスティヌス<告白>の図」
『季刊みづゑ』942 1987年3月 24-29頁
22.「ミケランジェロ作『ノアの物語』 ― ヴァチカン、システィナ礼拝堂天井壁画・調査報告 第2回」
『美術史学』9 1987年 142-194頁、75図
英訳:“The three scenes of Noah in the Sistine Chapel Paintings by Michelangelo (Summary)”,
Art History (Tohoku University) 9, 1987, pp.196-198.
23.「13、4世紀イタリア絵画の中の東洋文字 ― ジョットを中心に」
『イタリア学会誌』37 1987年10月 102-143頁(付伊文レジュメ)
24.「ミケランジェロ作、預言者、巫女像 ― システィナ礼拝堂天井・壁画・調査報告 第3回」
『美術史学』10 1988年 121-148頁、54図
英訳:“Prophets and Sybils by Michelangelo in Sistine Paintings”,
Art History (Tohoku University) 10, 1988, pp.117-120.
25.「ジョット絵画における東洋文字表現」
『日本文化研究所研究報告』24 1988年3月 101-118頁(付英文レジュメ)
26.“Concezioni Scientifiche Adombrate dagli Affeschi Michelangeleschi della Capella Sistina”
Annuario del’Istituto Giapponese di Cultura, Roma, 22.
27.「ローマ、ボルゲーゼ宮『支倉常長』像の作者について」
『仙台市博物館調査研究報告』8 1988年 1-20頁、31図
仏訳:“Le Portrait de Hasekura par Claude Deruet”,
Bulletin de la Société Franco-Japonaise d’Art et d’Archéologie, No.8, 1988, pp.13-24, 20 fig.
28.「世界の中の日本美術 序論 日本美術の「普遍」性のために」
『季刊MOA美術』27 1988年夏 46-51頁
29.「世界の中の日本美術 第1章 原始美術の評価」
同誌28 1988年秋 44-51頁、9図
30.「世界の中の日本美術 第2章 「アルカイスム」の時代 ― 飛鳥時代の美術」
同誌29 1989年冬 56-63頁
31.「世界の中の日本美術 第3章 「クラシシスム」初期の美術 ― 白鳳時代の彫刻・絵画」
同誌30 1989年春 52-59頁
32.「レオナルド・ダ・ヴィンチ『スフォルツァ騎馬像』の再建」
『東北大学文学部研究年報』38 1988年 1-30頁、40図(付英文レジュメ)
33.「ミケランジェロ作『民族の英雄達』と『キリストの祖先達』(第1期) ― システィナ礼拝堂天井壁画調査報告、第4回」
『美術史学』11 1989年 15-37頁、25図
英訳:“Spandrels and Lunettes of Sistine Chapel by Michelangelo (the first period 1508-1509)”,
Art History (Tohoku University) 11, 1989, pp.38-39.
34.「世界の中の日本美術 第4章 「クラシシスム」中期の美術 ― 天平時代の彫刻1」
『季刊MOA美術』31 1989年夏 54-61頁
35.「ローマの支倉常長」
『ローマの支倉常長と南蛮文化:日欧の交流・16~17世紀』仙台市博物館 1989年 100-107頁
36.「世界の中の日本美術 第5章 「クラシシスム」美術 ― 天平時代の彫刻2」
『季刊MOA美術』32 1989年秋 50-57頁
37.“Oriental Scripts in the paintings of Giotto’s Period”,
Gazette des Beaux-Arts, Mai-June 1989, pp.214-226, 15 fig.
38.“Le Portrait du Samourai Hasekura Tsunenaga par Claude Deruet”,
Le Pays Lorrain, No.3, 1989, pp.161-164, 7 fig.
<1990年代の研究論文>
1.「世界の中の日本美術 第6章 「クラシシスム」美術 ― 天平時代の彫刻3」
『季刊MOA美術』33 1990年冬 50-57頁
2.「世界の中の日本美術 第7章 「クラシシスム」美術 ― 天平時代の彫刻4」
同誌34 1990年春 50-57頁
3.「ミケランジェロ作『アダムとエヴァ』3場面と第2期の諸図像について ― システィナ礼拝堂天井・壁画調査報告、第5回」
『美術史学』12 1990年 152-178頁
英訳:“Michelangelo’s Second Period Paintings in the Sistine Chapel”,
Art History (Tohoku University) 12, 1990, pp.149-151.
4.「カルトーネ・プンテジャートとディゼーニョ(素描)の確立 ― 16世紀イタリア絵画史・展開の一側面」
『美学』41(3) 1990年12月 1-11頁
5.“La missone di Hasekura a Roma e la cultura di Date Masamune”,
Da Sendai a Roma. Un’Ambasceria Giapponese a Paolo V, Museo Nazionale di Castel Sant’Angelo, 2 Ottobre-25 Novembre 1990, pp.83-88.
6.「世界の中の日本美術 第8章 「マニエリスム」美術 ― 平安時代1」
『季刊MOA美術』35 1990年夏
7.「世界の中の日本美術 第9章 「マニエリスム」美術 ― 平安時代2」
同誌36 1990年秋
8.“A New Observation on Sistine Chapel Ceiling Paintings by Michelangelo After the restoration”,
Annuario, XXIV, 1990-1991, pp.31-38.
9.「世界の中の日本美術 第10章 バロック彫刻1 ― 運慶、快慶」
『季刊MOA美術』37 1991年冬 52-59頁
10.「世界の中の日本美術 第11章 バロック彫刻2 ― 定慶、湛慶」
同誌38 1991年春 52-59頁
11.「ミケランジェロ作『天地創造』3場面と第3期の諸場面 ― 1 ― システィナ礼拝堂天井画調査報告・第6回」
『美術史学』13 1991年 145-164頁
12.「世界の中の日本美術 第12章 バロック彫刻・絵画」
『季刊MOA美術』39 1991年夏 52-59頁
13.「“メランコリー”の思想 ― 芸術の根底にあるもの」(訳者解説)
クリバンスキー、バノフスキー、ザクスル『土星とメランコリー 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』
田中英道監訳、榎本武文、尾崎彰宏、加藤雅之共訳 晶文社 1991年 572-602頁
14.「世界の中の日本美術 第13章 バロック絵画 ― 13・4世紀の絵巻物」
『季刊MOA美術』40 1991年秋 52-59頁
15.「ミケランジェロ作、預言者・巫女像及び第3期の諸場面 ― 2 ― システィナ礼拝堂天井画調査報告・第7回」
『美術史学』14 1992年 144-176頁
16.「大仏師、国中連公麻呂の作品の様式的認定」
『東北大学文学部研究年報』41 1991年10月 1-34頁
17.「芸術学の可能性 ― フォルモロジーについて」
『芸術学の軌跡 芸術学フォーラムI』勁草書房 1992年 142-158頁
18.“Leonardo, architect of Chambord ?”,
artibus et historiae, nr.25, 1992, pp.85-102.
19.「フレスコ画法の歴史について ― システィナ礼拝堂天井・壁画調査・余録」
『学術月報』日本学術振興会 45(6) 1992年6月 549-553頁
20.「世界の中の日本美術 第14章 「バロック」美術の終焉 ― 13・4世紀の仏教絵画」
『季刊MOA美術』41 1992年冬 78-85頁
21.「世界の中の日本美術 第15章 「ロマンチシズム」の美術 ― 室町時代の山水画」
同誌42 1992年春 68-75頁
22.「世界の中の日本美術 第16章 「ロマンチシズム」から「アカデミスム」へ ― 室町・桃山時代の障屏画」
同誌43 1992年夏 68-75頁
23.「世界の中の日本美術 第17章 「ジャポニスム」の形成 ― I 宗達・光琳派」
同誌44 1992年秋 68-75頁
24.「ミケランジェロのシスティナ礼拝堂壁画研究」
『東北大学学報』 1992年3月15日号 2-3頁
25.「日本美術史における「様式」展開」
『美学』44(3) 1993年12月 34-45頁
26.「世界の中の日本美術 第18章 「ジャポニスム」の形成 ― II 文人画、大雅、蕪村」
『季刊MOA美術』45 1993年冬 64-71頁
27.「世界の中の日本美術 第19章 「ジャポニスム」の形成 ― III 文人画、玉堂、木米、竹田」
同誌46 1994年春 70-77頁
28.「世界の中の日本美術 第20章 「ジャポニスム」の展開 ― I 第2の文人派と洋風画派」
同誌47 1994年夏 72-79頁
29.「世界の中の日本美術 第21章 「ジャポニスム」の展開 ― II 浮世絵の世界」
同誌48 1994年秋 76-83頁
30.「ローマという“芸術”都市」
『地中海文化の旅 3』地中海学会編 河出書房新社 1993年 98-102頁
31.“Concezioni scientifiche adombrate dagli affreschi di Michelangelo nella Cappella Sisitina”,
Da Aristotele alla Cina. Sei saggi di storia dell’arte universale, Bagatto Libri, 1994, pp.94-111.
32.“La testimonianza estremorientale nella pittura italiana nell’epoca di Giotto”, pp.129-132;
“La seta in Giappone”, p.8, in La Seta e la sua vita, ideazione e cura Maria Telesa Lucidi, 23 gennaio-10 aprile, Roma, Palazzo delle Esposizioni, 1994.
33.「日本における新出・イタリア美術作品の研究」(New discovered Italian Paintings in a Japanese Collection)
『美術史学』15 1993年 95-104頁
34.「終末のイメージ」
『「終わり」からのメッセージ 世紀末を超えて』東北大学教育開放センター 1994年 34-41頁
35.「ダンテとミケランジェロ ― 「遠くからの愛 Amori de lonh」」
『Angel』エンゼル財団 1993年秋 20-26頁
36.「“他人の死”と“自己の死” ― 西洋美術の生と死」
『人間その生と死』岩田靖夫・塚本啓祥編著 平楽寺書店 1993年 49-72頁
37.“The Discovery of a Great Sculptor: Kimimaro of the Nara Period (710-793)”,
artibus et historiae, nr.33, 1996, pp.187-220.
38.“The Process of the Nagoya City Sforza Reconstruction”, in
Leonardo da Vinci’s Sforza Monument Horse : the art and the engineering, ed. D.C. Ahl, Bethlehem and London, 1995, pp.129-143.
39.「レオナルド研究1 モナ・リザ=イザベラ・デステ説 再考」
『美術史学』17 1995年 125-143頁
40.“Reconsideration of the Mona Lisa as Isabella d’Este by Leonardo da Vinci”
Art History (Tohoku University) 17, 1995, pp.146-166.
41.「湛慶・全作品の研究」
『東北大学文学部年報』46 1996年 1-42頁
42.“The Techniques and the Meanings of Sistine Chapel Paintings by Michelangelo”, in
Scritti e Immanini in onore di Corrado Maltese, Roma, 1997, pp.159-163.
43.「15世紀イタリア絵画のアラビスム」
『美術史学』19 1997年 94-114頁
44.“Arabism in 15th Century Italian Paintings”,
Art History (Tohoku University) 19, 1997, pp.133-154.
45.「西洋美学と『気韻生動』」
『美術史学』19 1997年 1-11頁
46.“Aesthetics of Ch’i yun sheng tung : A Comparative Study with Western Theories of Art”,
Frontiers of Transculturality in Comptenporary Aesthetics, Tauben Thrin Italy, 2001.
― “A Comparison of Qui yun shen dong Aesthetics with Western Art Theories”,
Rytai Vakarai ; Kurutury Saveika, Logos Vilnius, 2002, pp.42-52 (in Lithoanian).
47.「レオナルド・ダ・ヴィンチと中国の影響 ― 『モナ・リザ』の風景と山水画について ―」
『美術史学』20 1998年 191-196頁
48.“Influenza dell’arte Cinese nelle opere di Leonardo da Vinci. Il paesaggio della‘Mona Lisa’e il Sansuiga Cinese”,
Art History (Tohoku University) 20, 1998, pp.198-214.
49.「写楽はやはり北斎である ― 武者絵と春朗(北斎)の役者絵について」
『東北大学文学部年報』48 1998年 103-136頁
50.“Sharaku is Hokusai ― On Warrior Prints and Shunro’s (Hokusai’s) Actor Prints”,
artibus et historiae, nr.39, 1999, pp.157-190.
<2000年代以降の研究論文>
1.「セザンヌとジャポニスム」
『美術史学』21 2000年 116-134頁
2.“Cézanne and Japonisme”,
artibus et historiae, nr.44, 2001, pp.201-220.
3.“L’Influenza Cinese e Mongola nella pittura Senese del XIV secolo”,
Sindrome d’Oriente, a cura di M. Civai e J. Vlietstra, Catalogo Gliori, 31 Marzo-25 Maggio, 2001, pp.20-32.
4.「西洋の風景画の発生は東洋から」
『東北大学文学研究科研究年報』51 2001年 1-27頁
5.「光源氏は大画家だった ― 中国の画題ではなく日本を描いたところに大画家・光源氏の真価がある」
『日本文化』(拓殖大学日本文化研究所)4 2001年4月 94-104頁
6.「漱石、鴎外、天心とイタリア美術」
『日本文化』(拓殖大学日本文化研究所)6 2001年10月 69-77頁
7.「レオナルド派『接吻する幼児キリストとヨハネ』研究」
『美術史学』22 2001年 169-186頁
8.“The Western Dragons and Chinese Influences”, in
Myths and Rituals of the Yangtze River Civilization, ed. Y. Yasuda, Beijing, 2002, pp.234-252(中国語).
9.“Simone Martini e l’Estremo Oriente”, in
Oriente e Occidente, Convegno in Ricordo di Mario Bussagli, Roma, 31 maggio-1 giugno 1999, a cura di C. Silvi Antonimi, B. M. Alfieri, A. Santoro, Universita degli Studi di Roma‘La Sapienza’, Pisa-Roma, 2002, pp.276-283.
10.「イントロダクション」
『西洋美術への招待』(監修・執筆) 東北大学出版会 2002年 1-12頁
11.「ローマにおける支倉六右衛門の肖像群について」
『国際シンポジウム 日伊文化交流の500年 報告書』(ローマ大学、仙台・川崎・東京)
2001年 17-46頁(伊文)、209-224頁(和文)
12.「日本におけるイタリア美術研究」
『国際シンポジウム 日伊文化交流の500年 報告書』(ローマ大学、仙台・川崎・東京)
2001年 141-152頁(伊文)、313-322頁(和文)
13.「北斎と遠近法・アナモルフォーズ」
『美術史学』23 2002年 100-108頁
14.「ドイツ・ゴシック“古典主義”とは何か」
『「古典主義」美術の理論的研究』研究成果報告書 2004年3月 1-44頁
15.「デューラー、ルターとイスラム世界 ― その『黙示録』版画研究」
『美術史学』24 2003年 137-154頁
16.“Il Paesaggio di Leonardo da Vinci e l’Influenza Cinese”,
Natura e Sentimenti, a cura di R. Milani, Milano, 2000.
17.“Aesthetics of Ch’i yun sheng tung: Comparative Study with Western Theory of Art”,
Frontiers of Transculturality in Comtemporary Aesthetics, edited by Grazia Marchiano and Raffaele Milani, Proceedings Volume of the International Conference, University of Bologna, Italy, Trauben, Turin, Italy, 2001.
18.“Qi yun sheng dong estetikos palyginimas su vakarietiskomis neon teorijomis,Rytai-Valarai: Kulturu Saveika”,
directed by A. Andrijauskas,Vilnius, 2002 (in Litouanian).
19.“The birth of the landscape and cityscape in Europe. A.Lorenzetti’s Good Government and Chinese Influence”,
La Ville Insoutenable, Sous la direction de A.Berque, Ph.Bonnin, e Cy.Ghorra-Gobin,Belin, Paris, 2006.
20.“L’Arte di Fontanesi ed il Giappone”,
Atti Convegno Internazionale, Italiani nel Giappone Meiji (1868-1912), a cura di La Rocca, P.Fedi e M.T.Lucidi, Universita degli Studi di Roma, La Sapienza, 2007.(in Italian).
21.“Rytiestiski Rasnebys Giotto laikotarpio Tapyboje”,
Estetikos Ir Meno Filosofijos Transformacijos, directed by A. Andrijauskas, Vilnius, 2005 (in Lithouanian).
22.“The thories of the space of the landscape in the East and the West”,
XVIIth International Congress of Aesthetics, Sanart, 2008.
23.“A.Malraux et le portrait de Shigemori”,
Acte du Colloquim d’Andre Malraux, Internationa University of Akita, 2010.
1965年 美術史学会「ラ・トゥールの様式変遷」
1972年 美術史学会「レオナルド・ダ・ヴィンチ『三王礼拝』の二重人物像について」
1975年 ミケランジェロ生誕500年記念学会「システィナ礼拝堂天井画裸体像について」
1976年 美術史学会例会「ドレスデン美術館所蔵フェルメールの手紙を読む女について」
1977年 美術史学会例会「ミケランジェロのパオリーナ礼拝堂壁画について」
1991年 美術史学会例会「国中連公麻呂の作品同定」
1992年 美学会「西洋と日本の美術史の方法論の問題」
1994年 イタリア学会「ミケランジェロとダンテ、ヴェルギリウス」
2002年 美術史学会「雪舟の問題」「シンポジウム・美術史の価値の問題」(於 東北大学)
2004年 イタリア学会「ミケランジェロ『ダヴィデ』と国中連公麻呂『四天王』」(於 東北大学)他
1969年9月 ブダペスト大学国際美術史学会「ラ・トゥールの様式変遷」(仏語)
1973年9月 グラナダ大学国際美術史学会「ラ・トゥールの新発見作品について」(仏語)
1980年10月 メキシコ・シティ大学国際学会コロキウム「システィナ礼拝堂天井画について」(英語)
1981年9月 チューリヒ国際美術史学会「ジョットのモンゴルの影響について」(英語)
1986年11月 ローマ大学講演「ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画について」
シエナ市主催「美術保護の問題(伊語)
1989年9月 ストラスブール大学国際美術史学会
「レオナルド・ダ・ヴィンチのスフォルツァ騎馬像について」(仏語)
1991年4月 リーハイ大学レオナルド学会「スフォルツァ騎馬像の再建」(英語)
1994年10月 上海大学講演「西洋美術への東洋の影響」(日本語)
1997年6月 リュブリアナ大学国際美学会準備会「日本美術の美学」(英語)
1998年9月 リュブリアナ大学国際美学会「気韻生動の美学」(英語)
ボローニャ大学講演「日本美術の様式発展」(伊語)
1999年3月 ボローニャ大学「自然と感情」学会「レオナルド・ダ・ヴィンチと中国美術」(英語)
1999年5月 モスクワ大学バルトゥルシャイティス学会「シモーネ・マルティーニと中国芸術」(英語)
ローマ大学 M・ブッサーリ教授記念学会「シエナ絵画への中国の影響」(伊語)
2000年2月 ニューヨーク・アメリカ美術史学会IRSAシンポジウム講演「比較美術について」(英語)
2000年3月 ボローニャ大学バルトゥルシャイティス学会「アナモルフォーズと北斎」(伊語)
2000年5月 ポーランド・クラカウIRSA学会「セザンヌとジャポニスム」(英語)
2000年7月 中国・内モンゴル・フフホト美学会「気韻生動の美学」(英語)
2000年9月 ロンドン大学SOAS「写楽は北斎である」(英語)
2000年10月 ボローニャ大学美学会「日本美術と気韻生動」(英語)
2001年11月 ローマ大学「フォンタネージとジャポニスム」「イタリアと明治美術学会」(伊語)
2003年10月 リトワニア・ヴィリニウス大学講演「ワットーとシノワズリー」(英語)
2005年8月 モントリオール大学国際美術史学会
「ミケランジェロのダヴィデと国中連公麻呂の四天王像について」(英語)
2000年9月 フランス、スリシー城・国際シンポジウム「『善政』の風景画の確立」(仏語・英語)
2007年6月 パリ ケ・フランリー美術館「セザンヌとジャポニスム」(仏語)
2007年11月 ブタペスト大学「日本美術史の様式」(英語)
2008年1月 メルボルン大学「自然と風景画」(英語)
2008年6月 国際教養大学「マルローと『平重盛』像」(仏語)
2009年9月 メキシコ大学「世界美術史の中の日本美術」(英語)
1986年 「ドナテッロ生誕600周年記念学会」フィレンツェ、アカデミア美術館長 ボンサンティ氏招待
1987年 「ジォット没後650周年記念学会」フィレンツェ、アカデミア美術館長 ボンサンティ氏招待
1988年 「レオナルド学会」ローマ大学 マルテーゼ教授招待
1990年 「ミケランジェロ『システィナ礼拝堂天井画』学会」ナポリ大学 デ・マイオ教授招待
1993年 「ラ・トゥール生誕400年記念講演会」久留米大学 ルイヨ教授招待
1994年 「ティントレット没後400周年記念シンポジウム」
1996年 「国際シンポジウム:日本美術をどう見るか」
1997年 「マルロー没後20周年記念シンポジウム」
1999年 「ヴァン・ダイク生誕400周年記念国際シンポジウム」
『artibus et historiae』誌編集長 グラブスキー氏招待
2000年 「夏の美術シンポジウム≪明治初期のイタリア美術家の役割≫」
ピアチェンツァ、リッチ・オッディ美術館長 フガッツァ氏招待
「『美術史学』第20号刊行記念学会」
「『artibus et historiae』20周年記念講演会」グラブスキー氏招待
2001年 「国際シンポジウム 」日伊文化交流の500年」ローマ大学 コッラディーニ教授招待
2002年 「第18回民族藝術学会大会」(於 東北福祉大学)
「第55回美術史学会全国大会」
2003年 「西洋美術における古典主義の諸相に関する包括的研究会」
2008年 「アンドレー・マルロー思想と芸術、アジアと日本への誘惑」国際教養大学・国際美術史学会共催
1981年~2004年 116回にわたり研究室読書会「芸術と思想」開催
<他大学への出講>
大阪大学、名古屋大学、富山大学、四国学院大学、岩手大学、北海道教育大学旭川校、福島大学、会津大学短期学部(毎年)、東北工業大学(同)、宮城大学(同)、東京芸術大学、拓殖大学
<学会役員>
国際美術史学会副会長(2004~)
artibus et historiae(ウィーン国際美術雑誌)編集委員
国際美術史学会日本副代表(2000~2004)、代表(2004~2008)
美学会常任委員(1991~1998)
日仏美術学会常任委員
<社会活動・地方関係機関の委員等>
仙台・日仏協会・専務理事(1976~1990)
仙台婦人セミナー講師(1982~)
宮城県「文化の波文化の風おこし」委員会委員(1990)
宮城県「東北学おこし」委員会委員(1991~1993)
石巻市国際交流特別顧問(1991~1992)
「新しい歴史教科書」をつくる会・宮城県支部長(1999~2001)
「新しい歴史教科書」をつくる会会長(2001~2004)
阿部次郎記念館・運営委員(2002~2005)
<国内講演会>
九州・熊本から北海道・札幌まで多数。
<賞罰>
昭和55年(1980年)イタリア政府文化勲章(ブロンズ)
平成12年(2000年)IRSA賞(美術研究所学術賞)
平成18年(2006年)阿部次郎賞(酒田市)
<最終年授業担当>
学部学科の名称
文学部美学西洋美術史学科
文学研究科美学・美術史専攻
担当授業科目名
文学部
西洋美術史普通講義I、II
西洋美術史特殊講義I、II
西洋美術史演習I、II
西洋美術史基礎講読I、II
西洋美術史実習I、II
文学研究科
西洋美術史特殊講義
西洋美術史演習
西洋美術史実習
兼業先
東北工業大学:造形美学
会津大学短期学部:人間と美術
宮城大学:西洋美術史
東京芸術大学:近代フランス美術史